2005年6月14日火曜日

あまりにも課題の提出が遅いので先生が呆れていた。そりゃそうだよなー。もう開き直っているけど、日本にいる先生は私が優秀で勉強熱心だと勘違いしているような気がするのでどうしようと思う。系統不明の言語圏から来た東洋人がフランス人と同じように課題をこなせるわけ無いよ、という甘えがあるため、というか私の性質のため、自分に甘くなってしまった。こっちで何を得たか、って態度がでかくなっただけじゃないのか?という疑問もあり、日本で態度が単純にでかかったらむしろ損をするだけなので、何も得ていないのかもしれない。

スペイン滞在中、友達とのつきあい(日本の)が疎かになってしまった。ヨーロッパの人は友達やら家族やらの写真をぺたぺたと壁に貼り、恋人や家族の証明写真を財布に入れて持ち歩くので奇妙な気がするが、そうでもしないと実際いつも頭の隅においておくのは難しいのだと実感した。「家族なんて離れていても家族だしいいか」とかないのかと思うが、恋人同士だけじゃなくて、それ以外の関係の人間についても「いつもあなたを思っているんですよ」と言葉やら態度やらで示さない限りその感情はないも同然なんだろう。そうすると、日本人男性の「男は黙って」とか「背中で語る」とか、古くさいけど今もあるとしか思えない態度、恥ずかしがってあんまり好意を示してくれなさそう(特に人前で)な恋愛関係は、ヨーロッパの人にとっては理解不能に違いない。「何となく分かってくれるやろー、むしろ分かって当然」というのがあり得ない。それはシビアだが、「なんで分かってくれないんだ!」とかそういうこともないので楽。しかし常に「あなたは大事です大事ですよ」とあらゆる人に言い続けるのってけっこう大変だよな。パソコン室に行くとチャットに興じている人が多いが、それもそういうことなんかなと思う。

帰国したらこっちの友達の写真は取りあえず貼ろうと思う。私は薄情なのできっと忘れる。貼っても忘れるだろう。今までごちゃごちゃと住む場所を変えて、そのたびにいろいろと忘れている。忘れないで、どんどん積み重なっていくのってどういうものなのだろうか?同じ場所で同じような季節がぐるぐると毎年まわり、誰かが来たり誰かが死んだり誰かが生まれたりするという。

生活の話。朝起きたら水がなかった。一時くらいに復活したらしいが、私が一時半過ぎに帰宅するとまた断水していた。二時過ぎにはまた復活したが、困ったものだ。いちおうペットボトルに水を入れておいた。歴史的な干ばつで水不足なのは確かで、断水するのは問題ないけど、せめてお知らせしてくれないかと思う。しかも、朝屋内では断水なのに、中庭ではスプリンクラーがぶんぶん回っていた。単にアパートの水道管が壊れているのかもしれない。

2005年6月13日月曜日

突然断水。知らせてくれたっていいじゃんよ、と思うのだが夜九時くらいに同居人がトイレに行ったらもう止まっていたらしい。夕食に三人ともレタスのサラダを作ろうとして食べれず。買い置きしていた水もなく、今日は喉の渇きに苦しめられそう。前にも一回こういうことがあった。まあ別にいいか、と思うのは私がいい加減だからかなー。きっと一緒に住んでいる人が「断水だ何なのこの国??」という外国人(日本人やドイツ人か)という人だったら私も動揺してた。明日の朝も止まってたらかなり困る。

昨日の午後から鼻炎に苦しめられ、それがそのまま喉の痛みにつながり、何もできず寝込む。もう寒くないから熱が出たりとひどいことにはならなかったけど、最近適当な暮らしをしていたののツケが来たらしい。あと少ししかないから、元気でここの暮らしを満喫したいし、薬を服用する。この部屋にいるとずっと鼻の調子が悪いんだけどやっぱりカビのせいだろうか。あるいは本のせいか。

あと二週間もない。再来週の今頃は、ブルゴスあたりをうろつくことになりそう。それ以前に荷物の梱包、切符の購入、などなどやることは山積みでどうなることやら。

2005年6月10日金曜日

友達の誕生日会。三十分程度遅刻したらみんないた。最後の二週間、十日間、だからなのか、はじけすぎ。踊りまくり、騒ぎまくり、下ネタが多すぎでびっくりした。誕生日のプレゼントにパウロ・コエーリョの本と、「性生活の充実のために!」という言葉と共に「すばらしい持続力、かつて無いほどの堅さに!」なる薬のジョークグッズを贈られていた。「ありがとう、みんな。試したら写真を撮って送るよ!」と言っていたが…。下ネタが出てもニヤニヤ笑ったりするんじゃなくて激しい応酬が繰り広げられる。そうじゃない人もいるんだけど、あっけらかんとしているなあ。以前も、英語で言ったらfxxkという意味の言葉を誰かが言ったら、「いつヤルの?」と誰かが聞き、「うーん、四月かな。彼氏が来たときに!」と答えていたのでびっくりしたことがある。

帰国したら寂しいだろうなあ。そして、関係を続けるのは難しいだろうなあ。そう思うと悲しいけど、仕方がないよな。楽しいことばかりだったはずはないけど、ここでの数ヶ月間は楽しいときだったとして思い出されるだろう、と確信している。

2005年6月8日水曜日

各レポートを一週遅れで出すことになりそうな気配。外国語で文章を書くのは実に疲れる。読むのも実に疲れる。話すのも疲れるが、読むことや書くことに比べて日常的だから疲れることに慣れたっぽい。レポートはまだ三分の一弱しか書いていない。明日の昼までにはこれだけは出したい。どうなることやら。レポートを書いていると、「百五十年くらい前のアルゼンチンの小説なんてどうでもいいよ」と心底思うし、かといって今何も抱えていなければ何もしないことは分かり切っている。

今日は同居人の機嫌がめちゃくちゃ悪かった。まだテストが始まってもいないのに、そんなにストレスを感じて勉強しまくった末に頭痛に苦しんでどうするよこれから、と思ったが、私の適当さを彼女に当てはめることはまず無理で、もう一人の「単位を落とすのは大したことないよ、勉強のしすぎで体調を崩す方がどうかしてる」と言っても「でも私にとっては問題なの!」と言う言葉に黙っていた。どうも風の噂でテストに関する悪い情報を得て、それで荒れていたらしい。

スペインの学生はえぐいほどテスト勉強をする。何でかは分からない。同居人の所属する課程はかなり厳しい方らしい上、今日荒れていた同居人はその中でも相当勉強する方らしいので、一般的ではないんだろうけど。でも文学部もけっこう人がいる。知っている人は、毎日図書館にいるが、中で見るんじゃなくて外で喋っているのを見るので、勉強していないのかもしれん…。

そういえば、今日私もテストがあったんだった。昨日はそうとうナーバスになっていたが、これまで何もしていないのをスペイン語で突然前日に勉強、なんてあり得ないわけで、あきらめた。テストの内容は、あるテキストが二つ出されて、どちらかを選んでコメントを書く、というもので、周りのスペイン人はA4裏表で四枚以上書いていた。そんなに書くなんて話がまとまっていないんじゃないのか、逆に、と思うのだけど、もしかしたら書く方でも、「とにかく発言したもの勝ち」の世界なのかもしれない。穴埋め、記号、というのも大学のテストっぽくないけど、字数制限も何もなくてとにかく書く、というのはよくわからん。というわけで、一枚しか書けなかった。

2005年6月4日土曜日

レポートがあまりにもはかどらず、別の課題の本を読んで過ごす。昼間まで寝ていたので今日の半分は布団の中だけど…。あと、現実逃避で新聞を読んでいた。

日本語で新聞を読むのは大嫌いだが、外国語ではそうでもない。最近は、日本に関してはひたすら「省エネのための半袖着用」の話ばっかりだ。何がそんなにおもしろいのか分からない。新聞は最近は読むのに苦労しなくなった。社説は別だが、普通の記事ならだいたい分かる。特に、科学や医療系はわかりやすいと思う(単語が分からないのは日本の新聞もいっしょ)。

ところが小説となると、話は別で、辞書と格闘することになる。論文の方がまだまし。読んでいる小説がラテンアメリカのよく分からないものばかりだからというのも、分からない理由の一つだと思うけど…。日本語で言えば、外国人で、日本語が中級から上級程度にできる人にとって、笙野頼子が簡単とは思えない。

レポートを書いているため、友達と全く会っていない。もうあと一月もないからできるだけ遊びたいのだけど、とてもそんな心のゆとりがない、それなのに昼まで寝てしまう、ということで少し自己嫌悪気味。レポートもまるで書き終わる気配がない。スペイン語でA4二十ページなんてとんでもない話だ。かつて英語で書いた卒論を見てみたら、水増し用のbibliographyを含めて三十二ページだった。その約三分の二を書くとは。まだ二ページしか書いてない。つなぎの言葉のストックが全くないので、小学生みたいな文章になる。単語も読んだら分かるけど使いこなせないし…。論文を読んでいるうちに、論文を書けるようになる、という話を以前卒論を書いていたときに聞いたけど、読んでいるだけではよっぽどの人じゃない限り無理だろう。小学生の頃にやらされていた「書き写し」を今になってやるべきだろうか。有名な論文を一日ワード一ページずつ写すとか。もう記憶力が小学生の頃とは違うから、意味ないかな。

2005年6月3日金曜日

ここ数日の日記を書くのに三時間くらいかかっていた。アホすぎる。昨日結局提出できなくて、どうなるのか分からない。それでも書くことはしようとしているけど、久しぶりに苦戦中…。スペイン語で考えることができなくなってる。話すときにはそういうことはないのだが、書こうとすると日本語の方が先に出てくる。最近、日本語で文章を書いたり読んだりしているからかな。スペイン語漬けになるのが、話すだけでなく、それ以外でももっとも手っ取り早い方法なのだろう。問題は日本語を失うことだ。

ETAとの交渉に反対するテロリズム被害者の家族の大規模なデモがマドリードで行われた。政府はそのデモで方針を変えることはないとあらかじめ言明している。EU規模では、フランスとオランダのConstitucion Europeaの拒否がかなりの大問題らしい。他は大学改革が行われるとのことで、文学部は風前の灯火である。文献学はなくならないが、規模が縮小されるようだし、音楽学、美術史は消滅するらしい。改革はヨーロッパ規模なので、スペイン内で運動が盛り上がってもどのようにこの先状況が動くのかは分からないと思う。スペインは日本とは違って文献学の強い国だ、と思っていたけど、世界的な実利指向には敵わないのだろうか。

2005年6月1日水曜日

レポートがあまりに進まず(読み終わってさえいない)、絶望的な気分になって昼まで寝る。大学で友達と会い、「先生に締め切り延長してもらえば?それでこれから一緒にビーチに行ってそこで本を読むのもいいんじゃない?」と言われた。さすがにビーチには行かなかったが妙に安心してまたのんびりしてしまう。先生はいなかったのでなんの解決もされてないのだが…。

何が問題か、というと、文章が古くてアルゼンチンの言葉もふんだんで、読むのに骨が折れるから。プイグやマルケスの小説を読めたことでいい気になって辞書をひかずに読んだら筋すら理解できず、最初から三種類くらいの辞書を参照しつつ再び読むことになってしまった。辞書をひきながら本を読むのって私にとっては楽しみではないことを知った。言葉の流れに身を埋めることが楽しいから読んでいるのだと思う。外国語ではさすがにそうもいかなくて、日本語とは違う本の読み方になり、それ故に日本語で読むとき以上に理解できることもあるのだが。

日本に帰る日のことを考える。私は日本に帰国してから十五年ほど、日本を好きだと思ったことなどないのではないかと思うことがある。かといって、日本人だというアイデンティティは消えようがないし、日本人としての身のこなしがどこまでも染みついている。日本の好きな食べ物、愛着のある場所や人をそれぞれ表明することはできる。でも、「日本」が好きか?と言われると、そのぼんやりしていてでも確固とした形があるようなものに「日本人として」好きだとか嫌いだとか言えない。そういう質問は、「日本って住むのにいいところだと思う?」とか「日本は魅力的な場所だと思うか?」ということを聞いているわけではない。上記の質問には「人がやたらと多いので大変だがサービスもいいしきちんとしているので比較的安心して住めるところだ」とか「山も海も島もあるし、独自の歴史があるので見るべきところはたくさんあるし、魅力的な製品を作るところでは世界一ではないかと思う。」と答えることができる。でも、「日本を愛していますか?」と日本人に聞かれる、あるいは自問自答するとき、それは愛国心を問うているんだよな。この質問に上の答えは通用しない。「世界一魅力的な小物やら洋服を作っている国だから好きだ」というのも妙だし、「南北に長い島国だから気候風土に変化があって美しいので好きだ」というのももっと変だ。答えには好きか嫌いか、というのしかない。日本人として生まれ育った以上、国籍の示すものに自信が持てればもちろんいいと思う。でも主体的に選んだわけでもないし、その国に生まれればそこを何もかもひっくるめて愛情を示せることもない。

そんなことを考えるのも、留学したら愛国者になって帰る、という話を聞いたからなんだけど。そういうこともなかった。愛国者になって帰るのは、男性が多いのではないかと思う。女性はもう日本に帰らない人も多いのではないかと思う。

なぜだか知らないが、望郷の念が全く起こらない。気を張って、身も心も同化しようとしているからかもしれない。でもある程度そうしないと、異文化の中で暮らすのは難しいのではないか?日本人の身のこなしのまま、こっちでやっていくこともできるのだろうけど、それにはずいぶん精神力が必要だろうと思う。

2005年5月31日火曜日

真夜中に日記を書くのは、一種の悪徳だと思う。夜中にチョコレートを食べたり突然酒を飲んだりしているようなものだ。

El mataderoの続きを読む。CatedraのLetras Hispanicasのシリーズは冒頭に解説(ついてないのもあるが)、代表的な参考資料、本文にみっちり注釈、と一人で独学するのにも最適。文学理論などはたいてい無視されてるので、日本の文学研究の流れからするとあまりよくないのかもしれないけど。そういうわけで、二回目を読みつつ何となく分かった気にもなっている。問題はこれからだが…。

2005年5月30日月曜日

午前中、日本人の友達と会う。三時間くらいしゃべり続ける。海外で知り合う日本人は普段の生活では知り合わさそうな人が多くて、それでも話せば意外な面も見れたりして仲よくなったり、おもしろいものだ。

午後、成り行きで友達の家に行く。一週間に一回以上通い詰めているような気がする。カルフールに行かないか、とか、プールに行かないか、とか言われて、断りつつ「三日提出の課題にほとんど手をつけてなくてナーバスなんだよね」と言ったら呆れていた。レポートとかけっこう真面目に準備してみんな書いている。私は直前にしかできない性格がここに来てまでも直らない。「多分ろくでもないのを出すことになると思うよ」と言ったら否定されなかった。その友達の実家に行く予定なので、その話などちょっとする。

レポートのお題はHuidobro, Altazor→Rodo, Ariel→Echeverria, El mataderoと変更しまくり。El mataderoは短いけどスペイン語も古いしおもしろくなくてやっぱり読むのに苦労する。メモを取りつつ読んでいるけど、最近日本語で文章を書いてばかりいるからか、メモが日本語になってしまう。常に読み書き聞き話してないと、ここに住んでいてすら衰えるものらしい。帰国後どうなるんだろうか。
一気にローカルに書いてたぶんをコピーしてみた。もう留学生活もあと一月。一昨日日本人の友達がメキシコに旅立ち、昨日友達とのピザ大会に行って私一人では人付き合いがしづらいことに気づく。言葉の壁が低くなったからこその悩みかとも思う。

スペインの話。昨日のピザ大会で、フランスがヨーロッパ憲章にノーの答えを出した、ということがひとしきり話題になった。私以外はヨーロッパの人なのでみな興味がある様子。ポルトガルも新しい政府には国民の不満が高まりそうな気配らしく、おそらく否決されるとのこと。フランスの場合、シラク政権への不満が否決へとつながったわけで、ポルトガルもおそらく同様のことが起こるだろうと。ヨーロッパ憲章って何かよく分からないし、同居人は心底どうでも良さそうだ。でもニュースでは「ヨーロッパの危機」として報道されており、今後は注目らしい。

同じくピザ大会で、アメリカ人に対する敵意は共通してあらわだった。ブッシュ嫌い、というわけでもなさそう。日本だと欧米ってひとくくりだけど、そんなこととてもじゃないけど言えない。日本にとってアメリカは、たとえブッシュが馬鹿だというのが共通見解としてあっても、テロ以降どうもうさんくささが前面に出ている観が強くても、どこか夢の国でありつづけているように思う。ヨーロッパでも、今も移民を送り出している東ヨーロッパの国々ではイメージが違うのかもしれないな。

日記を前にすると、書けなくなるのはなぜか。

レポートの準備でRodoのArielを読んでいる。レトリックがすごすぎるのか、さっぱり理解できない。短いからすぐ読めると思ったのに。ShakespeareのTempestを下敷きにした作品だが、小説ではなくかなり教育的なもの。Prosperoとの異名を取る教師が、若者たちに最後のレクチャーをするというものだが、一章の途中で四苦八苦している。早速キャリバン(=アメリカ合衆国)とアリエル(=ラテンアメリカ)の対比とかが出てくると思っていたところ、ギリシャ人やルナンや頭の狂った女の話が続き、まだまだ出てこない。「若さ」のすばらしさについて。熱狂や希望に結びつけられる若さ、というと、ナチスの若く美しい肉体の賛美とか紅衛兵のことをぼんやり思い出す。このエッセイは、二十世紀初頭に書かれたものなのだ。まだ第一次大戦も前だし、ナチスも共産主義国もない。核兵器だってない。未来への希望には翳りがない。

まだ初めの方だけど、これは理解するに当たってかなりの参考文献を必要としそうだ。歴史的な文脈の知識が欠けているから。その前にスペイン語とも格闘しなければならない予定。

Arielに興味がある方は下のリンクからどうぞ。ちなみに、Arielはポストコロニアルの文学批評で有名な論文(フランケンシュタインとジェイン・エアとThe Wide Sargasso Seaを論じている)で初めて知った。サバルタンの人だが名前を忘れた。

Modernismoっておもしろそうだけど、カタルーニャのモデルニスモと何か関係はあるのか?あるならその辺の本を読むのはきっと楽しい経験になるのではないかと思う。

上記とは関係のないこと。最近周りでカップルが成立している。今スピッツを聞いているのだけど、周りの人を見ているとスピッツのような恋愛世界とはなんの関係もなさそうだ。「触りたいのにさわれない」とか、そういうのがないからだろうか?恋に落ちたら、とにかく態度で示しているような気がする。さわりたいのにさわれなくて妄想が紡がれる、というのとは違うような…。

2005年5月24日火曜日

放置しまくりですね。日記を書きまくっているときはたいてい心の調子が悪いので、今は絶好調ということです。体調はまた悪いけど…。冬は喉や鼻から調子を崩し、暖かくなると胃腸を壊す、というのが去年からパターン化している気がする。

ここでの生活はあと一月くらいしかない。本などを買って帰らなきゃいけないけど、まだ何を買わなきゃいけないのか分からない。卒論のテーマを決めてないから。ひとまず、辞書類とガイドブック類だけは早めに手に入れようと思う。テストや課題もあるし、遊んでいる場合ではないのだけど何もしてない。

日記を書いてないのには、多分日本語力の低下のせいもある。書き出したら止まらないのは変わらないけど、時間がずいぶんかかるようになった。これくらいの方が、日本語との距離の取り方としてはいいのかもしれないが。本が読めないわけでもないし、人の話も分かるしいいたいことも言えるし(コミュニケーション能力とは別の次元で)、書くのにも困らない。

最近したこと。

昨日 ビーチ(と称しているが緑色の川の縁に砂を運んでビーチにしてるだけ)で夜の十時までバレーボール。

今日 昨日無理をしたためかおなかが痛くなりコピーなど取ったり、ネットをしにいった他は家で寝ていた。

読書

大江健三郎「取り替え子」を読む。今まで大江健三郎とはなんの縁もなかったけど意外におもしろかったというのが感想。この小説も感情移入とかしづらい人ばっかり出てくる。大江健三郎の本は他にも親に持ってきてもらったけど、それらはエッセイ集で私はあまり好きじゃなさそうだった。込めている意味、がエッセイと小説とでかけ離れてくるわけじゃないはずなのに、エッセイだといろんなことが鼻について、小説だとすっと読めるのはなぜだろう。あと、小説家で、小説よりエッセイや論考の方がおもしろい人がたまにいるけど、この人はそうじゃない。私の読みが浅すぎて、「アレ」が結局なんだったのか分からない。

Gloria Anzaldua. Borderland / La frontera を斜め読み(最初の二章だけ)。三年前に読んで挫折している。今は斜め読みが出来るようになったけど、そこまでくるのに三年…。「国境、境界線」というのを人種、国家、性別などのせめぎ合う場所、と捉えて、その上に展開するエッセイとか会話とか詩とかマニフェストとかの総体がこの作品なんじゃないかと。チカーノ関連を読んでいつも思うのは、アメリカという場所にいるからこそ発言できる人たちの文学だということ。チカーノはメキシコというルーツを前面に押し出してくる人が多いけど、そのルーツであるメキシコでは、よっぽど上流の人じゃないと小説なんて書けないはず。他の南米諸国でも一緒だと思う。その辺皮肉に感じると共に、アメリカの魅力でもあるのかしら、と思ったり。

2005年5月18日水曜日

発表は散々だった。もともと内容が低レベルだった上、同じ日の発表者が同じ作品を扱っていた。すばらしい出来。ドイツ人は全体にレベルが高い気がする。

帰国後することを考えている。将来のこととは関係のない企画の一つは阿波踊りツアーをたてて友達と徳島に行くことだけど、考えてみれば宿を取る暇がない。あと日本の日常生活をつづるスペイン語の日記をつけるとか。通訳ボランティアをするとか、ブラジル・ポルトガル語を学ぶとか。自分の性格を考えてみるに、実際飛び込んでみないと何ともならないので、早くなんかの仕事をするべきだと思い始めた今日この頃。

日本語が書けなくなってる。スペイン語が書けるわけでもないのに。昨日、電話で話してたら「話すのが遅くなった」と言われた。あと二年くらいこの生活を続けたら、日本語能力がすごく落ちるに違いない。私は語学の才能はある方だと思うけど、すごくあるわけじゃないんだよな。スペインまで来といてこれだからなあ…。今のスペイン語力は、

自分と交わされる日常会話はだいたい分かる。

スペイン人同士の会話も少し分かるようになった。

映画やドラマもまあだいたい分かる。ただし、細部は分からない。

本や新聞も辞書無しで読める。あらすじが分かる程度だが。

友達とのメールなら問題ないが、改まった文が書けない。

中級以上の文法事項がよく分からない。

少なくとも会話では、正しい接続法(特に過去)が使えない。

改まった会話が出来ない(全部tuで喋ってしまう)

つまり、留学生として暮らすなら問題ないけど、スペイン語で仕事をするレベルではなく、日本で仕事にするのもどうか、というレベルなのだ。私は日本ではかなりみっちりと中級レベルの文法をしたけど、こっちでは基本的な文法の授業しか受けていなくて、あとは実地で単語や言い回しを覚えた。書き言葉はちゃんと学んでいない。話し言葉もこのレベルではどうかと思うが。ここから、日本にいながらにして自力でお仕事レベルまで上げることは可能なのか?でも、これからさらに勉強を続けてもなあ、と思う。日本の大学はきっと帰国したらかなり退屈だ。

留学生活は語学力の上達には一役買ったに違いないけど、本当のところ、専門学校に行ったほうが語学力そのものはつくんだと思う。

2005年5月16日月曜日

あと十時間しかない…。「苦労して作ったものを上手く話せるか」じゃなくて「そもそも時間に間に合うよう形に出来るのか」がいつも問題になる。同居人は「そんなに心配しなくても大丈夫!」と励ましてくれたけど、まだ構造すらちゃんと決まってないんだよね…。人前で話すこと自体はそんなに苦ではないのでとにかくスキームと台本を作ればわりとべらべらしゃべれる。これでも、日本で発表してたのよりはずいぶんちゃんと準備している気がする。まあ誰も聞いてないからどうだっていい気もしてきた。

先日、「スプートニクの恋人」も読んだ。全く話を覚えてもいないしあらすじさえ理解していたかあやしい。前に読んだときは鬱っぽくなっていたので過剰に自分と重ねすぎてあらすじすら追っていなかったのかもしれない。村上春樹は「ぼくの」話で、私の話じゃないんじゃないかと思った。あと、性的モラル(不倫とかそういうの)という点では山田詠美の小説や内田春菊のマンガに出てくる人の方がよっぽど常識的だ。主人公はいつもある種の女性にはすごくもてて寝る相手には困らないが、好きな人とは満足のいく関係を築くことがない。

今準備してるのは「蜘蛛女のキス」だが、論文を読んでいると研究者の想像力に驚く。「本に書いてあることだし物語だしどうでもいい」というのが率直な感想なので、もうこうなると何で文学専攻に計三年もいてさらに二年も続けるのか分からない。もっと自分は考えることが好きで、思考力があるのではないかと期待してたけど違う。違いすぎ。文章の作りを分解してより分かった気になるのは楽しいけど、それ以上はやる気がない。帰国したら取りあえず何かできそうなものを探してみよう…。適性について悩んでいるような時間もない。

2005年5月15日日曜日

発表前にしてほとんど何もしていないのでナーバスだ。

Placeboをちょっと前に友達に聞いてコピーしたのを聞いている。口ずさめると楽しいと思い、歌詞もネットからコピーしてきた。イヤホンを耳に差し込み、音楽の世界にはまりこむのはあまり好きではない。でも夜だからそうする、するとどんどん世界が自分の頭の中だけで完結していく感じがする。

小説を読むのが楽しくなってきたのはいいけど、やっぱりこれは私には向いてないなと思う。私が本を読むのを好きだったのは、頭の中をスピードを上げて文章が飛び去っていくのが好きだったからだ。内容はわりとどうでもよかった。本の中から何かを取り出すには、私は想像力がなさ過ぎる。小説から何かの答えを透かしてみることができるとも思えない。ある時期に、ある本が(何かの詩でもいいけど)、そのときの経験と重なる気がしてそれで思い入れがあることは多いけど、それってなんの解釈でもない。

2005年5月11日水曜日

月曜日か火曜日に買ったハムにもうカビが生えていた。冷蔵庫に入れてあったとはいえ、最近は気温も高く、ものが腐りやすい。火を通さずに電子レンジを多用する生活だから気をつけなければ。

2005年5月10日火曜日

ずっと放置してるなあ。ローカルで書いたりもしているのだけど、こっちにコピーしてない。

すばらしい五月がやってきて毎日天気がよかった。その反面、六十年で最悪の日照りらしい。ここ数日は雨だけど、その日照りのことを思うと降ったほうがいい。

2005年5月8日日曜日

図書館でアブサロム、アブサロムを借りた。英語を借りようと思ったけど無理なのでスペイン語にした。語彙力は英語の方があるはずだけど、英語のリズムに乗ることが出来ないので。登場人物の名前がスペイン風に変えられていた。日本で中国の小説など読むとき、日本語読みで漢字の名前を読むようなものなんだろうけど違和感がある。

「国境の南、太陽の西」読了。他人は自分の隙間を埋めるための存在かとか。最後の方のセックスシーンが笑えるとか。島本さんは語り手の願望が実体化した亡霊じゃないのかとか。最初から最後までいやな話だなというのはずっと感じつづけた。一種の王子様願望の物語か。自分に足らないものが特別な誰かと出会うことで埋められて新しい人生を歩み出せるという。ところが、絶対的に分かり合えるはずだったその相手のことを何一つ理解できなかったということが明らかになり、二人の関係は永久に失われる。過去の亡霊が決定的に消えたかに見えても主人公がそういう幻想(妄想)を振り切って今後暮らしていくのかは怪しい。村上春樹の作品は個人的な思い出とかそういうものを呼び起こし、かつそういった王子様願望のようなものを共有していることは否めないためにより苛立つんだろうな…。

そういえば、村上春樹とうちの親の世代はだいたい同じはずだけど、俗っぽいヒット曲とか顔を出さないのでいつの話かあまり分からない。全共闘とかは出てくるけど。

それとはなんの関係もなく。こないだのドライブの写真を友達のカメラからコピーさせてもらう。楽しそうに映っているのはいいけどいつも歯を見せて豪快に映りすぎている気がしてきた。じゃりン子チエみたいな…。しかも国籍も不明気味に映っているような。

2005年5月7日土曜日

十日くらい前から、「国境の南、太陽の西」をスペイン語版で読んでいる。読むのは七年ぶりくらいか。出版直後、図書館に入ってそう日も経たないくらいに読んだのだと思う。

村上春樹を読むたびに、主人公に苛立つ。高校時代に愛読していたときはそんなことはなかったのだが。月日が経つごとに苛立ちが増す。「ノルウェイの森」が顕著で、何度か読んでいる好きな本だが、読むごとにワタナベくんに対する苛立ちは増すばかりだ。

物語の背景はバブルまっしぐらの東京(1980年代後半)。主人公は1951年生まれだから私の親とほぼ同世代だ。関西のどこかの街(京都か大阪近郊か)の平均的なサラリーマンの家庭で育って大学から東京に出る。卒業後サラリーマンをするが建設業者(?)の社長の娘と結婚したことをきっかけにジャズバーを青山に開くことになる。その事業が成功を収めて妻子と共に青山の瀟洒なマンションに住み、箱根に別荘を持ち、高級車を乗り回し、紀伊国屋で買い物をし、高級車で子供を送り迎えするような親ばかりの幼稚園に子供を通わせたりする。株をする義父の手助けで株で儲けたりもする。そんな三十代後半の世間的には成功した男性が、ある日小学校時代に友達とも言い難い親密な関係にあった同級生と自分の店で再会して奇妙な不倫関係に陥る。

バブルでの成功者に、何だかよく分からないうちに自分もなっていて、そんな世界に馴染むことが出来ない人の話か?あくどい商売もしているらしい義父に反発して自分は真面目に働いて金を稼いでいると言いつつ、最終的には夫婦で依存し続けているように見える。

女性に関しては特に「島本さん」がリアリティない。どこで何をしてお金を手に入れているのか分からないがいつも高級品を上品に身につけている。私生活は極秘でほとんど何も分からない。小学生の頃はそうでもなかったが、再会してみると大変な美人になっている。ものすごい微笑をしばしばする。この微笑みについての描写は、中世の詩みたいだ。「君の真珠のような歯」とかそういうやつ。そんな「島本さん」とはバーで出遭ってジャズの話とかをする。幼稚園の親仲間とくだらない話(ミキハウスのバーゲンとか)をするのとは反対に満たされる内容のようだ。「川が見たい」となぜか頼まれて石川県まで一緒に日帰り旅行に行き、あと一歩踏み込んだ関係になりそうだったが今の生活のことを考えて踏みとどまる。「島本さん」とは縁がなくて、住所変更のはがきもなぜか届かなかったし、二十代後半の独身時代に一回街で見かけて追いかけたが交流ないままに終わるし、再会してみれば妻子持ち。でも惹かれ合うべくして惹かれ合うのだが。

ずるいな、と思うのは、「自分のために出来ている女の子」がいてそういうのはすぐ分かる、と言い、奥さんも美人ではないけど「ぼく向けの相手」(日本語はどうなってるのか知らない)だとか言っているのに運命の相手は超美人で誰もが美しいと思うような女性か…ということ。この主人公はそれに限らずずるく、「ずるがしこい」というよりは単にずるく、ちょっとそれに気づいているが気づかないふりをしているという感じか。

とにかく気になったのは

  • バブル
  • セックスの持つ意味(ある特別な相手と、適切な時期に寝ると生まれ変われるのではないか、という幻想)
  • 自分のために出来ている相手

外国で外国語で暮らすことは私に新しい世界をくれたことは確かだと思う。日本語では思考力に合わない語彙を使いまくっているのではないかとは考えたこともなかったが、どうもそうらしい。このことを知れたのは、今のところ私が留学で得た一番のものだ。人間関係をのぞいて。

2005年5月6日金曜日

昼間は近郊にドライブ、夜は誕生日のお祝いに呼ばれて出かける。ドライブは運転が荒くて怖かったのをのぞき(でも運転そのものはすごく上手い)、楽しかったが夜はいろいろあってしこりが残るような感じ。開催者のアパートの人は怒鳴り込むし、開催者の同居人のタバコを誰か自分のものにしてしまったらしく、大変腹を立ててその後の二次会に来なかったし、ディスコの前ではゴミ箱の中身が燃えるし、帰り道では建物の壁が落下したあとらしきものを目撃し…。

ゴミ箱が燃えているのは衝撃だった。入り口に立つガードマンは500mlペットボトル入りの水で火を消そうとするし、近くにいた人が「消防車を呼べばいいのでは」と言うと「呼びたければあなたが呼べばいい」と答えるし。さらに周りに紙など燃えるものがあるのに、燃えているゴミ箱の中身を道路にぶちまけていた。恐ろしくなって友達と立ちすくむ中、他の人は平気でディスコに入場していく。ありえない。ディスコが燃えてたくさんの人が死ぬ、というのは簡単に起こりうると実感した。

昼間にコーヒーを飲んだところでちょうど結婚式が開かれていて結婚式の話になったのだが、スペインでもできちゃった婚はあるらしい。さすがにそういう人は教会で式を挙げるのは控えたりもするらしいけど、妊婦用のウェディングドレスもあるとか。そして、純潔を象徴する純白のウェディングドレスを着ることができる人も少ないわけで、最近では「薄汚れた白」のドレスがあるということだった。スペインも急速に開放的になっているけど、現実ときしみを起こしているのではないかと思う。できちゃったら結婚するあたりも、けっこう保守的なのでは、と思うし。日本と同じく。

2005年4月17日日曜日

ここ一、二週間ほど、日本と中国が反日デモを巡って緊張感を高めているため、こっちでもニュースになっている。日本は滅多にニュースにならないから、これは珍しい。しかも写真付き。日本がニュースになるときは、自然災害か、ゲームかマンガ関係か、中国と仲が悪いか、皇室関連かどれかしかない気がする。スペインにも王室があるからか、各国の王室のニュースは好きだ。雅子さまが調子悪いのはスペイン人に限らずけっこう知られているが…。日中関係に関しては、アジアでのリーダーシップを巡っての対立なのではないか、と見られているらしい。どっちが悪い、という描き方はされてない。隣国との歴史を清算できてないと見られるているだろうし、あのニュースからは日本について悪い印象を受けると思う。

週末に発表を控えていて非常にやばい。スペイン語で人前で話すとは。なぜか、発表のあらすじを考えるのはスペイン語の方が上手くできる気がするけど、スペイン語で考えてる、ということで満足してるのかも。

2005年4月12日火曜日

大学のWi-fiで接続できない、と憤っていたら自分でスイッチを切ってただけだったことがわかった。解決してよかったが…。

留学も残り三ヶ月を切った。帰りたくないが、かかりつけ医にいっぺん見てもらわないと体調が限りなく悪くなりそうなので、そのために帰国したい。