2011年7月20日水曜日

Macbeth

六月半ばから二週間スペインに行って帰ってきてからというもの、ずっと調子が出ない。と言うか、ふだんから調子が出ている時の方が少ないのだけどもここ数日は特に。やることはいろいろとあるのだが。そもそも修論提出まで二ヶ月を切ったのにこのていたらくはまずい。

というわけでいろいろすべきことはあるけど気が乗らないのでひとまず先週見たMacbethの感想を書く。

Macbethはオックスフォードでも有数のお金持ち伝統カレッジ、トリニティが会場だったのでぜひ見たかった。しかし会場に着いてみると庭に立派な劇場が作られているというわけではなく、敷地の中だけど脇の小さな林の中に無理矢理押し込んで作った、というような感じだった。がっかりしたけど、中世スコットランドの田舎にいる感じがしてよかったかも。小雨が時々ぱらつく肌寒い日で、貸し出し毛布(1ポンド)を幕間の時に借りた。飲物も売っていて、温かいコーヒーや紅茶が飲める。

Oxford Theatre Guildという劇団の出し物だったのだが、この劇団は市民劇団ぽい感じで、普段は仕事を持っている、オックスフォード近郊の人でやっているようだった。そのためかちょっと素人っぽい?と思うこともあったのだけど、日が暮れてからはどんどん雰囲気が出てきて引き込まれた。

この演出で変わっているのは魔女が3人ではなく、9人もいるところ。マクベスの悲劇における魔女の役割が大きく、端役はほぼすべて魔女が化けていることになっていた。Wikipediaであらすじをチェックした限りの印象では、魔女3人だと、うまい話に思わず引き込まれて人間の弱さと怖さが露呈してしまう、という話に見えたのだけど、9人版では魔女という超自然的なものの思うがままに操られる哀れな人間たちの悲しさが目立った。ラストも変えてあって、魔女たちの差し金による次なる悲劇が予想される終わり方をする。

魔女が9人もいるのが、学芸会の時に全員出さなきゃいけないから元は3人の役を9人に増やしました、というのを思い出させた。あと明るい間は魔女の服がゴミ袋か給食の白衣みたいに見えたのでかなりいまいちに思ったのだが、暗くなってきてからは白い光る薄い生地を重ねた衣装がいい感じに照明を反射しておどろおどろしくてよかった。全体に、暗くなってからが光の加減とか、周りの木がざわざわと音を立てる怪しさとか、効果的に作用しておもしろかったように思う。土曜日にはマチネーもしてたらしいけどそれはちょっといまいちだったのではないかな…。

英語の劇を見たのもシェイクスピアを見たのも初めてだったけど楽しかった。もっと見たい。シェイクスピアは同じ作品を色んな人が色んな演出しているのが楽しめそうだし特に。筋を知ってても演劇っておもしろいな。むしろ筋を知らないとおもしろくないのか?英語の音を楽しめたのもよかった。魔女たちがMacbeth!と連呼するところではすごい勢いで舌を噛んでて、英語の音の力強さと激しさを耳で聞けた。英語はあまり好きな言語じゃないけど、こうして劇や詩の朗読なんかを楽しめば英語のよさも感じるようになってくるのではないかと思った。不思議なのは、演劇や詩の朗読ってその場にいるとかなり音が飛び込んできてそれだけで満足するのだけど同じものをデータで聞いたり見たりしてもいまいち退屈なことだ。やっぱり生音が一番、というのは音楽よりも、人の話し声で感じる。

未確認生物学

今、Museum of the History of ScienceでEccentricityという特別展を開催中。今日はその関連で、雪男研究者についてのレクチャーがあるということで聞きに行ってきた。

発表者はアメリカのBrian Regalという研究者でいかにもアメリカンという声の張りと身振りの激しさとアメリカンジョークで圧倒された。アメリカンジョークは意外とイギリス人にもうけてたみたい(それか、笑うのが礼儀だと思って笑ってたのか?)。大学のオフィシャルによれば、ダーウィンについての本を書いたり(Creationalistが剽窃したらしい)、テレビに出たり、雑誌に投稿したりとかなり目立った活動している人のようだ。元々進化論を研究しているらしい。さらにCVによれば、大学に入る前は軍隊に8年くらいいたみたい。アメリカでも珍しい経歴だろうか?

テーマはCryptozoology。この単語知らなかったがWikipediaによれば「未確認生物学」のことで、ネッシーとか雪男とか、存在がかなり怪しい未確認生物の研究を指すらしい。Ulisses Aldrovandiから始まってざっと有名な学者の話のあと、チベットで発見されたというイエティの解説があり、本題のGrover Krantzの話をじっくりと約40分ほど。ちなみにUlisses Aldrovandiの仕事は以下のビデオにまとめられているようなものらしい。





Grover Krantz(クランツだと思うけど英語読みはクランズなのかな?)はアメリカの学者で、ずっとビッグフット(サスカッチ)を追っていた。これだけ聞くと怪しいようだがバークレイで学びアカデミックな背景はきちんと持っている。クランツに限らず、ビッグフットの研究者はアマチュアだけではなく大学教育を受けた学者も数多いらしい。クランツはテーマが変わっていたというだけではなくかなりの奇人でもあった。犬が生涯の友で、愛犬が死んだ時には剥製にしようとしたができず、骨格標本を残そうとしたものの愛する友人を切り裂くことが出来ずナイフを手に震えていた。結局犬の死体を地面に埋めて、一年後の真夜中骨だけを掘り出して骨格を残した。亡くなる前にスミソニアン博物館に研究ノートなどを寄贈することにしたが、寄贈の条件は自分の骨格標本と犬の骨格も引き取ること。スミソニアンは引き受け、今は骨を見ることが出来るとか。また、ビッグフットが有名になり、子供からもファンレターがたくさん届いたという。そのファンレターもパワポで見せていた。

レクチャーはわりとクランツのおもしろエピソードを取り出してちょこちょこ解説、という感じだったがあとの質問がかなり盛り上がり、違う方向性の話を聞けた。ビッグフットはアメリカ先住民の間では「毛深いヒト」として認識されていたのが、白人が「類人猿に似たもの」と言い出してから猿として認識するようになったとか、ロシアにもビッグフットを信じている科学者のグループがあるが、彼らはビッグフットを現生人類とは違うヒトの生き残りであると考えているとか。ロシア(といってたけど多分ソ連のことだろう)はイエティ調査を実施しており、それはチベット、中央アジア、ヒマラヤ辺りの紛争地域でイギリスやアメリカがイエティ調査を隠れ蓑に怪しい行動をしているのではないかという警戒のためもあったと。実際、イエティを追っていた学者はアメリカやイギリスの諜報機関と何らかの関わりがあった。あとテネシーでは家にビッグフットが出入りして交流を深め、英語とビッグフット語を互いに教え合っているという話があるらしいがこれの9に書いてあることかな。ロシアにそれを研究しようとしてる人がいるみたい。

最近本を出したばかりだそうで宣伝していた。読みたいけど買うにはけっこうな値段。

2011年7月19日火曜日

Oxford観光情報

有名観光地に住んでいるためお客さんが多く来る。せっかくなので見たところなどをメモしておきたい。特に地元イギリス人と交流があるわけではないので、「地元民だけが知る店」などはわからないが何かの参考になれば。

昨日は観光名所を色々まわった。はずせないのでクライスト・チャーチに行ったが、驚くほど混んでいた。今は観光シーズンな上、夏休みを利用して各国から語学留学の若者が集まってきているかららしい。昨日は日曜日だったからよけいに多かったのだろう。私はハリー・ポッターシリーズを読んでもいないし映画も一本も見ていないのでよくわからないが、クライスト・チャーチの食堂が使われているようだ。

ここからは文句。カレッジの入り口には本日公開されている施設が一覧になっており、昨日はホール(食堂)は公開していないがカテドラルは公開していることになっていた。ところが、中に入ってみると逆であた。ホールは狭いため同時にたくさんの人が入れないためか、まるでディズニーランドのアトラクションのように人が並んでいた。ホールには入れないとなると、他に見るものはカテドラルなのだがそれは開いていない。結局何も見ずに出てきた。クライスト・チャーチは大人一人8ポンド(夏期)なのであまりにもぼったくっているように感じた。とはいえ、一番の目玉カレッジだからカレッジ一つ選ぶとすればここになるのかなあ。ちなみに12月に行ったときは誰もいなかった。

公開しているカレッジで他に昨日行ったのはモードリン・カレッジとニュー・カレッジ。モードリン・カレッジは白い紫陽花と石壁のコントラストが美しかった。広大な庭には鹿もいるし、川沿いの道を散策するのも気分がいい。中にはカフェもあり、川を見ながらお茶できるらしい。ここはガーゴイルでも有名で、妙な顔のやつがいっぱいいる。

ニュー・カレッジは外界から隔絶されたような空間だった。全く21世紀にいる気がしない。ビルも見えないし、電線もない。かつての城壁に囲まれた庭を壁に沿って歩いていても車の音もしない。美しい庭にはいろいろな花が咲き乱れている。こんなとこで勉強していたらかなりの特権気分が味わえるだろうし、ここで過ごす3年だか4年だかの大学生活は一生忘れられないものになるだろうと思った。

ボードリアン図書館のツアーにも参加したのだった。今までミニツアー(30分)には二回参加しているがスタンダード(1時間)は初めて。過去二回はフィンランド人の学生だったが今回はイギリス人のポッシュおばさんだった。もし時間があるならスタンダードの方がいい。特に本好き・図書館好きの人はスタンダードの方がいいと思う。見られる場所も多いし、各場所での説明もミニツアーより詳しい。人数制限がある上当日チケットを買うしかないので、観光シーズンには11時すぎに窓口に走ったほうがいいかも知れない。

昼食はTurf Tavernでサンデイ・ローストを初めて食べた。肉も柔らかく付け合わせの野菜もおいしくて満足。私にはちょうど良かったが、男性には少ないかも。肉の量が少ないしイギリス人にとっては軽い食事なのかも。

お茶はThe Grand Cafeで。日曜は7時までみたいで最後の方は音楽が止まってた。いい店だけどちょっと狭いかな。あと店員がもっと優雅な感じだったらいいのにとちょっと思う…。普通の喫茶店のように気さくだ。ケーキがおいしそうだった(食べてない)。いちおうイングランドで一番古いコーヒーショップらしいけど本当なんだろうか。

晩ご飯はカウリー・ロードの蘭桂坊で食べた。日本のお店のようなPOPが店中にあり、お皿も日本の居酒屋のようなお皿だし、壁の半分が皮だか合成皮革だかのクッションみたいになっているところとか、キティちゃんの風船がなぜかあるところとか、店の中に本棚があって雑誌が読める所とか、日本のお店のようで落ち着けた。傘を預かってくれてあとで出してくれるという心配りもあった。カクテルも各種揃い、食事のあとも飲みつづけることができるしまさに居酒屋のよう。おいしかったが一品8ポンドくらいして中華料理としては高い方ではないかと思う。

写真がなくてつまらないエントリーになってしまった。でも写真を撮るのが嫌いなので今後もこうなってしまうかも。カメラを構えることによってそのときの気分が中断されてしまうのが嫌だ。写真を見ることは好きなので自分で撮った写真がないのはあとあと残念ではあるんだけども。

2011年6月12日日曜日

La mala educación (バッド・エデュケーション)

もうずいぶん前(公開当時)に見て以来の鑑賞。年代と場所を把握したくて見たのだが、全くあらすじを覚えていなかった。覚えていたのは、少年時代の顛末だけだ。
以下映画のストーリーに触れます。この映画はあらすじを知ってしまうとおもしろくないと思うので注意。これってレオノール・ワトリングがちらっと出てたんだねえ。全然気づかなかった。IMDb見て初めて知ったよ。
IMDb: Bad Education















年代はDVDに入っていたエクストラのアルモドバル本人による説明を参考にしました。

現実部分
1980年、マドリード。映画監督エンリケのもとに初恋の相手イグナシオと名乗る青年が突然訪ねてくる。が、どうしてもエンリケは彼がイグナシオであるように思えない。しかも、イグナシオは「今は母親ですら芸名のアンヘルと呼ぶのだから、ぼくのことはアンヘルと呼んでくれ」と執拗に頼む。イグナシオ改めアンヘルは二人の少年時代の思い出に基づいた小説を手にしていた。これをエンリケが映画化し、アンヘルが出演するというのがアンヘルの希望だった。エンリケは小説に魅了され、映画を撮ろうと決意。アンヘルをエンリケ役にしようと考えるのだがアンヘルは何としてでもサラ役がやりたいと食い下がり、交渉は決裂する。アンヘルが忘れたライターにはガリシアの村Ortigeiraの名前があった。そこはイグナシオの故郷でもある。エンリケはライターに書いてあった店を訪ね、アンヘルのことを聞き、その後イグナシオの実家を訪ねる。イグナシオは三年前にすでに死んでいた。イグナシオの写真の横にはアンヘルの写真が飾ってあった。彼はイグナシオの弟だったのだ。本名はフアン。
エンリケはアンヘルの素性を知っていることを隠すことにした。希望通りアンヘルにサラの役を与える。その「試験」は肉体関係を結ぶことであり、その関係は数ヶ月続いた。
撮影は順調に進み、最後の日を迎える。その日、撮影場所に見慣れない男が現れた。彼は、駿府であることをやめたマノロ神父だった。マノロ神父改めマヌエルはうらぶれた風貌で咳をしながら、フアン、イグナシオとの顛末、実際に起きたことについて全てを語った。
全てを知ったエンリケはアンヘルを拒絶する。元神父はここ何年もアンヘルを探し続けていたのをようやく見つけたのだが、アンヘルに拒絶される。家までエンリケを訪ねたアンヘルはすぐに追い返されるが、最後にイグナシオが死の直前に書いたエンリケへの書きかけの手紙を渡される。
その後の三人の人生が文字で説明される。アンヘルは俳優として成功し、衣装係の女性と結婚。マヌエルはアンヘルを脅迫し続け、ついにはアンヘルが運転する車にひき殺される。エンリケは映画を撮り続ける。

マノロ神父の回想(1977年)
神父をやめ、バレンシアで出版社を営むマノロ神父改めマヌエルにある日電話がかかってくる。イグナシオだった。少年時代にマヌエルから受けた性暴力を記した小説を書いたという。これを公にされたくなければ、性転換にかかる費用を出せ、とイグナシオはマヌエルを脅した。イグナシオの元を訪ねるマヌエル。イグナシオは薬物におぼれていた。現在のイグナシオの姿に失望したマヌエルは、イグナシオと同居していた弟のフアンの姿に目を留める。彼はフアンに夢中になった。金を渡しにイグナシオの元を訪れても、フアンの姿を目で追ってしまう。ある日、イグナシオは旅行に出かけた。その隙を見て、マヌエルはフアンと関係を持つことに成功する。二人の関係は帰ってきたイグナシオに見つかり、マヌエルはこれも脅迫の材料に加えると脅される。フアンとマヌエルの二人はイグナシオを殺すことを決意する。イグナシオはマヌエルが用意したヘロインが原因で死亡。その夜を最後に、フアンとマヌエルが会うことはなかった。

劇中映画部分(La visita)
1964年(サラ・モンティエル主演映画Esa mujerを見ていることを考えると劇中の設定は1969年かもしれない)、エンリケとイグナシオは寄宿学校にいた。マノロ神父はイグナシオに惚れ込み、野外学習中にいたずらをするが拒否される。エンリケとイグナシオは好意を抱きあう仲となり、二人で出かけた映画館で手淫を覚える。その夜、眠れない二人がトイレで話しているところをマノロ神父に見つかり、激高したマノロ神父はエンリケの放校をちらつかせる。エンリケのためにイグナシオはマノロ神父に体を売るが、結局マノロ神父は裏切りエンリケは退学になる。イグナシオは復讐を誓う。
1977年。ドラッグクイーンとなったイグナシオ改めサラは今はうらぶれた劇場となった思い出の映画館でショーに出演した。舞台近くにいた男とショーのあと行為に及ぶが、なんと男は最中に寝てしまう。怒ったサラは男の財布から現金を抜き取ろうとするが、そこには恋しいエンリケの名前があった。手紙を残し、サラは男の元を去る。
サラは、イグナシオの姉と名乗り、母校にマノロ神父を訪ねる。マノロ神父はイグナシオのことを覚えていないと主張するがいまも忘れてはいない。サラは少年時代のイグナシオに何をしたかを書き記した小説を公表すると脅し、現金を要求する。言い争う二人の元に副校長のホセ神父が現れサラを縛り上げる。ホセ神父の口からサラこそがイグナシオだと知ったマノロ神父は言葉を失い、何か言おうとするがホセ神父がその場でサラを殺してしまう。二人は殺人を内密にすることを決意する。

2011年5月2日月曜日

カタルーニャ語学習日記 四日目

表現力アップと単語力アップというコーナーのみ。Parla.catをほぼ1ユニット分さらったからというのもあるのだけど時間がかかりすぎる。本当に6月半ばまでに終わるのかな?

表現力アップは挨拶、単語力アップは国名・地名とその形容詞。スペイン語とけっこう違うので苦労する。日本とかスペインとかは使うから覚えるけど、国名に冠詞があるのとないのがあってそれが覚えにくい。ヨーロッパの国々には冠詞がつかない国が多いみたい。

「バレンシア人」も必須だと思うのだけどなぜParla.catにすらないかね…?バルセロナ中心主義なのだろうかと邪推してしまう。バレンシアに関しては、地名 València 男性単数 valencià 女性単数 valenciana 男性複数 valencians 女性複数 valencienes という風になる。

2011年5月1日日曜日

カタルーニャ語学習日記 三日目

さっそく一日サボってしまいました。

今日はやっと第1課。 主語の人称代名詞とserの活用、人称冠詞、疑問文の作り方を学ぶ。復習の必要がないくらいの初歩と思っていたけどaixòとjaponèsのアクセントの方向を間違って覚えていたりとか、先が思いやられる。eとoの発音にそれぞれ3つ種類があるのが、カタルーニャ語の難易度を著しく上げてるんじゃないだろうか…。開いたoと閉じたo、開いたeと閉じたeの聞き分けができる人にとっては耳で聞いた通りにアクセントを打てばいいという話なのだろうが、日本語話者には厳しい。

テキスト内容に気になる点が3つ。
  1. Som de Japóはdel Japóが正しいのではないだろうか?
  2. 母音またはh+母音で始まる名前以外の男性の名前にはenがつくとあるけど、elでもいいのではないだろうか?
  3. スキット1行目、Hola, Bon diaのBonは小文字始まりなのでは?
2と3についてはParla.catでは私の考えていることが裏付けられたのだが、1に関してはまだ確認していない。人称冠詞はもしかすると地域によるのかもしれない。バレアレス諸島では、en, el, la, l'ではなく、en, na, n'が使われるというし。 カタルーニャ人たちに確認してみた方がいいのかもしれない。

発音に関してだけど、アクセントの落ちないe, aがいずれも英語で言うところのschwaになってしまうのは、発音を区別できればかなりそれっぽく発音できて、アクセントがあるかないかも音で表すことができるので便利なんだろうけど難しい。

カタルーニャ語は日常会話で保たれてきた言葉で、話すことがアイデンティティと密着した言葉であるためか、外人向けの教育がいまいちな気がする。耳でわかるけど書くことができない、という人を前提としているので、カタルーニャで書かれた教本では発音の解説がとてもわかりにくい。「開いたoの音ならアクセントをこのように打ちます」と言われても聞き取れないんだよ…。

今私が使っているニューエクスプレスではなく、エクスプレスは発音の規則についてもうちょっと詳しかった気がするんだけど、取っつきやすくするために削ってしまったのかな。

2011年4月29日金曜日

カタルーニャ語学習日記 二日目

今日やっと発音と文字を終えた。先は長い。6月半ばまでに終わらせるつもり。

l·lの入力法がわからなかったが、WordReferenceの質問箱に回答があった。スペイン語キーボードに変えた状態でシフト+数字の3で半角の中黒が出る。

nは前後にくる音によりずいぶん発音が変化するらしい。Parla.catの解説だと事細かに説明されていたが、エクスプレスではほとんど説明なし。どうも日本語なまりのままいけるからではないか。

いつかカタルーニャ語検定の上級を取りたいものだけどいつになるのかな…。

2011年4月28日木曜日

カタルーニャ語学習日記 一日目

修論でカタルーニャ語を扱うことにしたので復習を始めた。教科書は白水社のエクスプレス。



今日はカタルーニャ語の紹介を読み、「文字と発音」の子音gまでやった。カタルーニャ語は初級文法はだいたいやっているのでこの辺はわかるはずなのだが、文字と発音の規則がスペイン語よりはややこしく面倒くさい。この本ではおそらくcatalà oriental(東部カタルーニャ語)が基準になっていると思う。バルセロナが東部カタルーニャ語だからだろうか。発音は何が難しいかというと母音が8個あること。初めてカタルーニャ語を習った約2年前はもうちょっと聞き分けれた気がするけど今回はかなり難しい。耳が老化したんだろうか。

文字と発音のページには発音記号も記載されているがあまり説明が親切ではないので、発音に凝りたい人のために「脱・日本語なまり」をついでにおすすめしておく。カタルーニャ語については言及がないが、これを一通りやれば発音記号がどんな音を指しているかはわかるようになるはず。



エクスプレスは説明がえらくあっさりで、よくわからないところもあるので発音の規則についてはparla.catの文法の説明を参考にした。parla.catは無料で使えるカタルーニャ語自習サイト(チューターを付けることもできる。こちらは有料)で、解説にもカタルーニャ語、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語を選択できて大変便利。問題があるとすればあまりに充実しすぎていていつまで経っても次のステップに進めないことか。

あとは辞書。日本語カタルーニャ語の辞書もあるにはあるようだが現物を確認したことがないのでコメントは控える。スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語のいずれかができる人には多言語辞書が便利。スペイン語がわかる人には子供向け辞書DIDACも役に立つかもしれない。子供用辞書で「手」を引いたらイラストで見る人体、みたいなページがありそこには全裸の女性が数人入浴している図が…。一人はどこも隠さずに正面を向いている。子供の頃人体図って簡略化されたものか、ものすごくリアルな解剖図のどっちかしか見たことなかった気がするのだが、それはお国柄なのかな。

記憶の中の祖国

約一週間の日本滞在を終えてイギリスに戻ってきた。

今回は遊びに帰ったわけではないのでよけいなのだが、日本はずいぶん沈んで見えた。3月11日当日偶然東京にいた父はビルの高層階で地震を経験し、駅で一晩寝て帰ったという。その後地震のショックで不眠症になってしまったため、睡眠薬を服用していた。両親ともに原発問題に心囚われているようで、事ある毎に原発の話題が出た。プルト君のビデオも見せられた。

私の実家も夫の実家も西日本にあって表面上は全く何の影響もないのだが、特に原発問題が心にのしかかっているようだった。夫の実家は上関原発予定地から30キロくらいのところにあって、これまでは遠いと思っていたのだがもし何かあったら逃げなければいけない距離であり、さらに活断層の上に建っているという伊方原発からも近い。これまでは意識したこともなかったけど日本全国逃げ場無しという感覚があった。

日本のムードが沈んでいるような気がしているために、道路の白線の色が褪せていること、道が意外とデコボコなこと、に気づいてしまい日本お金ないのか、とさらに気が沈んだが前からそうであったのではないかという指摘を受けた。気のせいで妙なところに目が行くものである。

日本を離れて三年目になるためか、記憶の中の日本と現実の日本がどんどん離れていく。本当に変化しているのか、記憶の中の日本が美化されているのかわからない。

震災のことを忘れないために毎月どこかしらに募金をすることにした。先月は日本赤十字社にしたが、今月は栄村に。栄村はどこかすら把握してなかったが、帰国したら父から「秋山郷だ」と教えられた。秋山郷と言えば、ブラジルから帰ってきて初めて国内旅行した思い出の場所で、雪深い秘境じゃないか。全く調べてもいなかった。

中部電力が浜岡原子力発電所三号機の再稼働を目指しているようだ。気分が悪くなってきた。もし福島第一の事故のあとでさらに事故があるようでは日本という国も日本というブランドも今後評価されることはないだろう。というか原発容認派が多数派なの?不安を訴える声は全く届いていないのか?

2011年4月16日土曜日

毎日書くのって意外と難しい。

「日本では今の状況について人々はどう考えているのか、日本人からの生の声を聞きたい」と言われたのだけど上手く説明できず。被災地のことはわからないし、身近なのは西日本にいる家族なので、「不安がないわけではないが、平常に暮らしている」、と言ったら何か不満げだった(ように見えたが被害妄想かも)。だって何ができるのか?少しでも前向きに考えていくしかないんじゃないの?と言ったところ君はここにいて安全だから、てまあそれもあるんだけど…。それは私が海外にいるからというだけじゃなくて、多くの日本関係者がそう思ってるんじゃないかと思う。

私が笑顔で楽しくしているからといって地震や原発事故や今後の日本の風評被害やらを心配してないわけではない。戦争や災害で「ややこしい国」から来ている人に今まで何人か会ったけど、明るかったり、楽しかったり、あんまり他の人と変わらなかったりするんだな、と思っていた。出身国が災害や戦争でひどいことになっていても個人個人は楽しいことも悲しいこともあり、一方で国の現況が個人の感情や生活に影を落とさないわけではない、ということがつかみにくかった。今の日本は「ややこしい国」として見られてると思うのだが、そういう国の人なんだからこうだろう、というのは多分あって(私自身がそういうのを考えやすいからそう思うのか)、それにどうこたえるのか、というのが難しい。

取り立てて日本大好き!というわけではなかったけど、これまでは、気が進まないけど、結局住んでみたらいちばん落ち着くし、生活のレベルも高いし、一番満足するのは日本でしょ、という思いがあった。でもそれが今回の震災で怪しくなってきた。とっさに、もしかしたら、私は海外でずっと生きていかなければいけないのかもしれない、という考えが頭をよぎった。そんなことを考えてしまう辺りに日本にいる人との大きなギャップがあるんだろう。

家に帰ってくるとどうものんびりしてしまう。明日はお客さまが来るので、買い物に行って食事の下準備をしないと!掃除もしなきゃね。お土産も買わなければいけない。明後日帰国なんて信じられないなあ…。名古屋も山口も寒いだろうか。

ちなみにレシピはカレーとルバーブのムース。おつまみにアボガドとカニかまの和えたの、サラダはにんじんのサラダを作ろうかと考えている。カレーに合うサラダの質問が役立つ。

関係ない話だがわさびマヨに醤油をちょっと入れたのは外国人に好評。魚介類とも野菜とも合う。クレソンをお寿司にするのはどうだろうか。ちょっと味がきついかな。

2011年4月13日水曜日

日本人仲間と中華街でお昼を食べた。ロンドン中華街で唯一、トロリーに乗せて飲茶を運んでくる「新世界」という店に行ってきた。外から見るとがらがらに見えたが、実はけっこう混雑していた。トロリーが次々とやってきて忙しない。菜の花のオイスターソースがけ、ラーメンのような麺、エビシュウマイ、エビ入りの透明なシュウマイっぽいもの、小さいエビを何匹か薄い衣でくるんで揚げたもの、ワンタンのような生地でエビをくるんであるもの、ごま団子を食べて3人で30ポンドちょっと。まあまあ安いのではないかな。今度はもっといろいろとたくさん食べまくりたい。中華系もいたが白人もいて、隣のテーブルは白人男性二人と子供二人だった。日本で平日昼間に男性二人と子供二人が飲茶食べてるってなかなかない状況だろうな。


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その後ライスワインで日本食を買って、お茶でもしようとぶらぶらしていたらナショナルジオグラフィックのカフェを見つけた(ナショナルジオグラフィックストアロンドン店])。ナショナルジオグラフィックの商品を売る店にカフェが併設されているみたい。天井にはモロッコのランプのようなものがぶら下がっている。ふと椅子を見たら何と値札がついていた。よく見たら店中の家具に値札がついていた。カフェなんて汚れたり傷ついたり日常茶飯事だろうに、売り物になるのだろうか。店員がスペイン語圏の人ばっかりっぽいけど何でだろうと思っていたのだが、ウェブサイトを見たところお店の経営はスペインの会社がやっているらしい。私はありきたりなカフェモカを頼んでしまったが、一人は緑茶と紅茶を混ぜてフレイバーを足したもの、を頼んでいた。イギリスに来てからよく分からないお茶を見かけることが多い。緑茶+柑橘類などは普通にスーパーでも売られている。日本でもフラペチーノとかでは奇妙な組み合わせのものもあるけど、緑茶やほうじ茶はあまりアレンジしないと思う。


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四時くらいに解散して大学へ向かい、ちょっと作業する。久しぶりにスタイルシートに触れた。プロの作ったものをいじったので構成が難しくてなかなか進まない。なぜかウェブページの一部が消えてしまったりとか…。

10時前に帰宅。今日もグリーンペスト(センズベリー製)とロケットのサラダ。