1980年4月5日土曜日

勉強履歴

何かの参考になるかもしれないので、今までどんな勉強をしてきたのかまとめました(2011年10月30日更新)。

1983-89
サンパウロに滞在。インターナショナルスクールにも現地校にも行っていないため、全くポルトガル語を話すことはなかった。日本人学校の授業で義務として週二回のポルトガル語講座があり、全然話せないのにネイティブ先生のクラスに入れられる。他の子は現地の幼稚園に行っていて話せる子ばかりで苦痛な時間を過ごす。結果、何も覚えていないけど、鼻母音を出すのに困らないのは多分ポルトガル語に触れていたおかげだと思う。

1990?
NHKの基礎英語(当時は基礎英語と続基礎英語だったと思う)を聞いたりする。

1992
地元の英語教室に友達といっしょに通う。英検四級を受けたような気もする。英語教室で学んだことは何一つ覚えていない。確か半年程度でやめたのではないかな。家ではセサミストリートを見ていた。

1993
中学校での英語学習開始。引き続き基礎英語は聞いていたような気がする。Z会も始める。中学三年生の時に英検三級を取る。

1996-1999
高校生。リーダーが得意で、文脈から適当に類推して意味が分かったために単語学習を怠る。グラマーもめんどうで勉強を怠る。リーダーとグラマーの点数は2, 30点差があったと思う。高校が終わる頃には何らかの危機感を感じていたけど、気づかないふりをする。英語講座とかは全く聞いていなかった。
二年生の頃には河合塾で英語のリーダーのクラスだけ通っていた。普段はZ会で勉強する。

1999-2003
大学に入る。前半二年は遊び暮らす。英語の授業でよく悪い評価を受けていたのに、なぜかアメリカ文学専攻を選ぶ。後半二年の専門の授業ではとんちんかんな解釈を披露したりよく分からなくて寝ていたりして散々だった。その割に勉強もせず、すっかり英語嫌いになる。卒論を英語で書くことが義務だったので書いたけど、内容は本当にひどかった。お情けで卒業できたんだと思う。
スペイン語は第二外国語で履修していたが、二年やっても線過去点過去までしか進まず、テストのための勉強しかしなかったので何も学んでいないに等しい。三回生の時には近所のスペイン語学校に通っていた。四回生の時に、スペイン語専攻の院を受けようと無謀にも思いつき、過去問を見てみたらあまりにもレベルが高くてあきらめる。そんなとき編入という手があることを知り、編入試験を受けてみることを決意する。
ちなみに、フランス語も勉強しようとして二回挫折している。
卒業を記念してTOEICを受験したら765くらいだった。

2003
編入試験に受かったのでスペイン語を本格的に始める。最初はtenerの活用すらおぼつかない状況で、接続法もほとんど知らず、毎日予習に追われ胃の痛い日々を過ごす。一週間に八コマスペイン語を履修していた。耳からの学習及び会話は全くしなかった。

2004
チェコ語とフランス語の授業を取ってみるが挫折する。前年度の密度の濃さとうってかわって気の抜けた日々を送るが、留学準備のためにスペイン語の手紙などを書かなければならず、ストレスフル。
九月よりスペインに留学。授業はほとんど分からない状態から半分くらいはノートが取れる、というところまでしか行かなかった。でも会話とリスニングは飛躍的に伸びた。それは友達と出歩きまくっていたからで、大学の授業とは多分関係がない。そのうちに読むのも苦にならなくなってきたが、ただ分からないのが平気になっただけかもしれない。

2005
七月にスペインから帰国。帰国してすぐ、運良くスペイン語圏の留学生と友達になり、会話する機会を持てた。帰国後半年は彼らとのコミュニケーションや、新聞を読む以外は特に何かをしていた気はしない。あ、そういえば9月にはガイド試験を受けたけど、スペイン語で不合格になっていたので、留学しただけじゃだめだと痛感した。
語学関連の資格を揃えることに決める。英検とスペイン語検定、DELE、ガイド試験を取ることを目標にする。帰国後TOEICを受験したらスコアが840でびっくりする。
英語も何とかしようとビジネス英会話を聞いたり聞かなかったりする。
そういえば、またフランス語学習に挫折している。

2006
三月に英語の通訳短期講座があったので行ってみた。英語は口から出ず、四苦八苦していたら先生に「先にスペイン語を勉強したほうがいいのではないか」とのアドバイスを受ける。もともとスペイン語も受講しようかと思っていたけど、スペイン語を優先することにする。テストを受けたら予想外に出来がよく、思ってもいなかったクラスに入れられる。四月から2007年2月まで受講する。
四月からはNHKのスペイン語ニュースを聞いたり、Podcastでいろいろと集めてきたインタビューを聞いたり、できるだけ語彙を増やした。九月にはガイド試験もあったのでそのために単語帳の単語を集中的に覚えたりもした。
四月から約半年間ドイツ語を大学で取ってみる。
夏にはスペインを旅行。話すのは遅くなっていたらしいけど、それほどレベルは落ちていなかったようで一安心。
夏以降は留学生の友達もほとんどいなくなってしまったので話す機会が減る。ガイド試験の一次には合格したが、二次試験に落ちる。11月にDELEのSuperiorを受験して合格。最後にTOEICを受けて、890点になった。

2007年
2月まで通訳学校に通う。派遣を含めて通訳の仕事を探してみるがなかなか難しい。四月に入ってから翻訳会社に就職が決まり、上京する。仕事は英語が中心で、スペイン語を使う機会が激減する。そもそも、勉強する心と体のゆとりもない。東京在住スペイン人の知人は増えた。12月にガイド試験の二次があり、目出度く合格する。そういえば六月か七月に西検一級の二次を受けて落ちている。あと、英検一級は三回くらいチャレンジして全て二次で落ちた。
Podcastはわりとマメに聞いていた。英語の勉強はそれなりにしたと思う。英語関係の新書などをよく読んでいた。

2008年
引き続き英検一級にチャレンジして落ちる。ドイツ行きが決まり、ドイツ語を自習してみるが、あまり進まなかった。ひたすら通勤電車でドイツ語を聞いたり眺めたりしていた。
仕事を七月に辞めて、十月にドイツに引っ越し。ドイツ語を現地で学んでいるが、家で全て日本語なので余り上達しない。スペイン語を話す友達がたくさんできて話し相手には困らない状況。
ちなみに、ドイツ語コース冬学期のクラスはGS3(入門と初級の間くらい)。独自のメソッドを持つカリスマフランス人講師に恵まれる。クラスメートも楽しい人ばかりだった。

2009年
2月までGS3、その後春休みを挟んで春学期はOS(上級)に上がれた。ドイツで大学進学を目指す人の集まりなので、点数点数とピリピリしていた。このコースの最終目標、DSHも無事取得。
クラスメートの韓国人と交換授業をしようとしたが、結局二人で日本語を話し続けた。
2月から大学のカタルーニャ語コースに参加してみる。7月にバルセロナの語学学校に一月通う。その後カタルーニャ人の友達とは会話をカタルーニャ語に切り替える。
10月よりスイス、チューリッヒに引っ越し。スイスドイツ語はドイツのドイツ語と全く異なるので、街行く人の話は全く理解できない。外国人相手には標準ドイツ語を話してくれるがなまっているのでわかりにくいこともあった。引き続きカタルーニャ語を勉強。途中からあまりに暇で辛くなったのでドイツ語コースにも通うことにした。2010年の8月頃まで通ったと思う。

2010年
ドイツ語コース。クラスメートの生き様があまりに自分とかけ離れており、辛い。話が合わない。国際交流は難しい。
10月よりイギリスに引っ越し。大学院に通い始めるも、英語を話すのが苦痛すぎて日本人以外とほとんど会話しない日々。

2011年
相変わらず英会話が苦痛すぎる。9月に論文を提出し院は修了。終了できたかは11月に分かる予定。
10月より配偶者向け英語教室に通い始め、少し英会話に改善の兆しが見え始める。