2005年5月30日月曜日

一気にローカルに書いてたぶんをコピーしてみた。もう留学生活もあと一月。一昨日日本人の友達がメキシコに旅立ち、昨日友達とのピザ大会に行って私一人では人付き合いがしづらいことに気づく。言葉の壁が低くなったからこその悩みかとも思う。

スペインの話。昨日のピザ大会で、フランスがヨーロッパ憲章にノーの答えを出した、ということがひとしきり話題になった。私以外はヨーロッパの人なのでみな興味がある様子。ポルトガルも新しい政府には国民の不満が高まりそうな気配らしく、おそらく否決されるとのこと。フランスの場合、シラク政権への不満が否決へとつながったわけで、ポルトガルもおそらく同様のことが起こるだろうと。ヨーロッパ憲章って何かよく分からないし、同居人は心底どうでも良さそうだ。でもニュースでは「ヨーロッパの危機」として報道されており、今後は注目らしい。

同じくピザ大会で、アメリカ人に対する敵意は共通してあらわだった。ブッシュ嫌い、というわけでもなさそう。日本だと欧米ってひとくくりだけど、そんなこととてもじゃないけど言えない。日本にとってアメリカは、たとえブッシュが馬鹿だというのが共通見解としてあっても、テロ以降どうもうさんくささが前面に出ている観が強くても、どこか夢の国でありつづけているように思う。ヨーロッパでも、今も移民を送り出している東ヨーロッパの国々ではイメージが違うのかもしれないな。

日記を前にすると、書けなくなるのはなぜか。

レポートの準備でRodoのArielを読んでいる。レトリックがすごすぎるのか、さっぱり理解できない。短いからすぐ読めると思ったのに。ShakespeareのTempestを下敷きにした作品だが、小説ではなくかなり教育的なもの。Prosperoとの異名を取る教師が、若者たちに最後のレクチャーをするというものだが、一章の途中で四苦八苦している。早速キャリバン(=アメリカ合衆国)とアリエル(=ラテンアメリカ)の対比とかが出てくると思っていたところ、ギリシャ人やルナンや頭の狂った女の話が続き、まだまだ出てこない。「若さ」のすばらしさについて。熱狂や希望に結びつけられる若さ、というと、ナチスの若く美しい肉体の賛美とか紅衛兵のことをぼんやり思い出す。このエッセイは、二十世紀初頭に書かれたものなのだ。まだ第一次大戦も前だし、ナチスも共産主義国もない。核兵器だってない。未来への希望には翳りがない。

まだ初めの方だけど、これは理解するに当たってかなりの参考文献を必要としそうだ。歴史的な文脈の知識が欠けているから。その前にスペイン語とも格闘しなければならない予定。

Arielに興味がある方は下のリンクからどうぞ。ちなみに、Arielはポストコロニアルの文学批評で有名な論文(フランケンシュタインとジェイン・エアとThe Wide Sargasso Seaを論じている)で初めて知った。サバルタンの人だが名前を忘れた。

Modernismoっておもしろそうだけど、カタルーニャのモデルニスモと何か関係はあるのか?あるならその辺の本を読むのはきっと楽しい経験になるのではないかと思う。

上記とは関係のないこと。最近周りでカップルが成立している。今スピッツを聞いているのだけど、周りの人を見ているとスピッツのような恋愛世界とはなんの関係もなさそうだ。「触りたいのにさわれない」とか、そういうのがないからだろうか?恋に落ちたら、とにかく態度で示しているような気がする。さわりたいのにさわれなくて妄想が紡がれる、というのとは違うような…。

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