2010年7月22日木曜日

Schweizerisches Landesmuseum

チューリッヒでの日々も終わりに近づいているので、慌てていろいろと巡ろうとしている。今日はSchweizerisches Landesmuseum(スイス国立博物館)に行ってきた。木曜日なので夜の七時まで開いている(それ以外の日は午後五時まで)。

特別展のZauber Berge. Die Schweiz als Kraftraum und Sanatorium(魔の山:ジムとサナトリウムとしてのスイス)目当てで行ったが、せっかくなのでざっくり全部見てきた。

とりあえずよく知らないスイスの歴史を眺めようと、チケットを買った後すぐに二階に上がってスイスの歴史コーナーを見る。歴史順に並んでいるわけではなく、4つのテーマに沿って展示が分かれていた。1つめは、スイスは常にスイス人が住み続けていたわけではない、と絶え間ない移住者についての解説。ホモ・サピエンスから最近の移民まで。19世紀までは移民の送り出し国だったが、その後のイタリア移民をはじめ、第二次大戦後からは旧ユーゴ、トルコ、イタリア、ポルトガル、スペイン等から大量に移民がやってきた。戦後には移民受け入れ反対の住民投票(スイスは直接民主制)も行われたが全て否決された。

2つめのコーナーは宗教について。宗教改革の有名人カルヴァンとツヴィングリはどちらもスイス人なので、宗教改革が展示の中心になっている。カトリックとプロテスタントの教会の内装がどのように異なるか、写真を並べて提示していたのが面白かった。

3つめはスイス連邦の歴史。スイスの歴史がさっぱり分からないので解説を読む気にもならず飛ばしてしまった。女性の権利の展示が一角にあったのだが、妙に新しく見えたので今調べたらスイスは1971年になるまで女性に選挙権がなく、連邦の憲法で男女同権が保証されたのは1981年のことらしい(政治-スイスの情報)。女性に選挙権を与えるか否か、の住民投票のポスターが強烈だった。賛成側は、「女性が選挙権を得るためには、男性の貴方が必要なのです」と花束と、それを持つ男性の手が描かれて優しさを強調しているのに対し、反対側は赤ちゃんのおしゃぶりにハエが止まっている絵が描かれていた。女性の本分をないがしろにすると子供が犠牲になる、ということなのか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターもそうだけど、既成の価値観を守ろうとする側のポスターの表現の方が強烈だ。


4つめは、外国でお金を儲けたスイス人について。古くは貧しさからヨーロッパ各地で傭兵として働き、中には一儲けして帰ってきて豪邸を建てた人もいたらしい。植民地主義の時代に入ってからは、植民地に絡む貿易(奴隷貿易とか)に従事した大商人も生まれた。最後は現在のスイスの象徴、銀行業で締める。

ここまででかなりのボリュームでふらふらになった。続いてスイスの家具という特別展のフロアに入ったがもう見る気にならない。入場券を常設展と特別展で分けてほしい。全て込みで10フランは展示の量を考えれば納得だが1日で見るのは体力が要る。一回出ても券の購入時にもらうシールさえ付けていれば何度でも再入場可能なので外に出て休んでは入館、とすればいいのかもしれないけど…。

別の特別展、ナイフの展示も素通りし、恐らく常設と思われる美術展示も素通り。この美術展示はかなりの量があるのだがぎゅうぎゅうに所狭しと展示してあって、どれが大事なのかよく分からないくらい。キリスト教美術が充実しているようだった。

今日のお目当ての「魔の山」展示を見る前にカフェテリアでコーヒーを飲む。紙コップに入ったカプチーノ4フラン。

「魔の山」の展示はかなりおもしろかった。大体3つに分かれており、1つめはスイスの4大健康スポットの解説。2つめは、20世紀初頭から大戦直後くらいまで、健康志向の人々を引きつけた(もちろんスイスが売り出した要素でもある)スイスの4つの要素、水、高地、ハーブ、光について。3つめは、トレーニングとスイス発健康食品。

スイスの4大健康スポットは、アスコーナにあるモンテベリタ、チューリッヒベルクのクリニック(ミュースリー産みの親がやっていた)、サンモリッツのサナトリウム、 どこか忘れたのだがアルプスの中にある、皮膚結核専門の療養所の4つ。モンテベリタは自然に帰ることが人間のためになるという思想を持った人々のコロニーだった。動物性食品は一切取らず、人によっては喉の渇きも果物で癒すという徹底ぶり。日光が重要な要素で、太陽の光を浴びる全裸の若者の後ろ姿を描いた絵もある。何と神殿まであったらしい。
かなり興味深いので自分用のメモをかねて関連リンクを貼っておきます。
    バクーニンやヘッセも来ていたらしい。

    スイスと言えばハイジ、というくらいおなじみだけど、ハイジの物語も都会を離れ、肉食を離れ、高地で清浄な生活をするのが理想的というイデオロギーに沿っているという。ハイジはフランクフルトという大都会に行って病気になってしまい、その病気は山に戻るまで治ることはない。足の悪いクララは山に来たら何と歩けるようになってしまう。

    ヨーロッパ人が太陽の光が好きすぎて辟易することがあるが、こういう考え方が染みついてるのだとしたら納得する。また、この間ツェルマットに行って3000メートルを超えるところまで楽々電車で行くことができ、山頂の豪華な設備で快適に過ごせることに驚いたのだけど、こんな設備が100年前にできたのはこういう高地と光への信仰があったからでもあるのだろう。

    山岳リゾートとか銀行業とか、他に類を見ないお金儲けのアイディアがスイスにはあって、そのオリジナリティにはびっくりする。人々は日本人みたいにシャイで、どちらかというと横並び好きに見えるのだけど。

    スイス健康産業華やかなりし頃の写真を3Dで見る映写室のようなものがあって、それもおもしろかった。ヌーディストの写真がたくさんあってどぎまぎした。

    3時半前に入館して、見終わるのに7時少し前までかかった。全部じっくり見ようと思ったら1日では足らないと思う。今は改装工事中なので、もしかすると改装が終わったらもっと展示物が増えてしまうのかもしれない。

    今回はモンテベリタ情報を得ることができたのが収穫。Museum für Gestaltungでスイスの観光イメージ戦略についての展示をしているので、そちらを今週中に見に行ってスイスの知識をもうちょっと深めてくる予定。

    2010年7月21日水曜日

    湖水浴

    暑くて仕方がないので近所のプールに行ってきた。プールと言っても、チューリッヒ湖の一角を囲い、岸辺に芝生があり、着替えるところ、シャワー、ロッカーなどを備えた建物が併設されているもので普通のプールではない。

    日も陰り、雨の降りそうな時間帯に行ったため水が冷たかった。普段長距離を泳ぐのには慣れているので大丈夫だと思っていたが、足が着かない自然の湖で、風が強いのか近くをクルーザーでも徹ったのか波が高く、顔に水がかかった。動揺して水を飲んでしまったり呼吸が乱れたりして、おぼれるかと思った。あまりにぐったりしたので30分未満ですごすごと帰る。そんな姿を見かねたのか、受付の人が次回使える二人分の券をくれた。

    岸辺の芝生で1日ごろっとして本を読んだり、 気が向いたら泳いだり、なんてお茶目すぎる。やっぱりチューリッヒはいい街だなあ。

    岸辺でそのまま隠しもせず着替える人が数人いたがあれは普通なのだろうか。あんなに堂々としていたら、そういうものと思わざるを得ない。

    ティチーノ旅行:データ

    1日目

    ストラーダ・アルタ
    レストラン、民宿などはアイローロ、アルタンカ、ルレンゴ、フレッジオ、オスコにはあるが他の村にはなかった。休憩所は整備されていないので店に入って休んだ方がいいかもしれない。日差しを避ける場所があまりない。
    Strada Alta情報ページ(独)

    Agriturismo Da Paolin
    素朴な民宿。庭先にテラスがある。コーヒーはチューリッヒで飲むよりも値段が安かったと思う。

    Ristorante Corona
    店員が親切であった。食べたものと値段。
    ティチーノ・メルロー 6.60フラン
    プッタネスカピザ 16.00フラン
    プロシュートとメロン 21.00フラン
    ミネラルウォーター1リットル瓶 7フラン
    計50.60フラン

    ベリンツォーナのユースホステル
    駅から歩いて約10分。朝食込みということを除いてはあまりおすすめできない宿。モンテベッロ城は近い。値段は、2人部屋の場合1人45.55フラン+税金0.45フラン。

    Postauto
    ボスコからファイド駅まで利用。時刻表をダウンロードできる。


    2日目
    多くの喫茶店、レストランが日曜日は閉まるので要注意。

    ベリンツォーナ
    Museo archeologico e civico
    よっぽど考古学に詳しい人ならおもしろいのかもしれない。本文中に書いた通り、解説がほとんどないので何がなにやら。

    ロカルノ
    Museo archeologico
    ガラス細工がおもしろい。

    Hotel Ristorante Dell'Angelo
    カフェとワインで休憩した。店員がぶっきらぼうだが親切だった。

    ティチーノ旅行:2日目(6月27日)

    何時に起きたか記憶がないけど、多分八時か九時。今日も晴れているが、前日ほどは空気が澄んでいないようで、遠くにもやがかかっているように見える。

    食堂で朝食をとる。バイキング形式だが、ハムもチーズも一種類しかなく、果物もないし、ドイツのハイデルベルクのユースホステルのような豪華朝食を期待していたのでがっかり。ジュース、コーヒー、お茶類、ココアと飲み放題で、シリアルもあるし朝食バイキングの基本は押さえているのだが。昨日からこのユースホステルには失望し続けているので余計にがっかり来ているのかもしれない。

    カウンターに鍵を置いて観光に出かける。まずは、ユースホステルの裏に位置するモンテベッロ城から。石段を上がり、城の横の葡萄畑を横目に見ながら10分弱歩いて入り口に到着。優美さのかけらもない、いかにも要塞という感じの城。レゴで作れそう。Museo archeologico e civicoという考古学関係の博物館があるということでそれらしきところに近づくと、ベルが鳴って係の人が出てきた。どことなくゆるい。4フラン払って入館する。荷物は預かってくれた。

    From Ticino
    モンテベッロ城

    中の展示はいちおう時代別になっているようだが、どこで掘り出されたいつの時代のものなのか全く記載がない。解説パネルもあるのだが、全てイタリア語で分からない。なぜか、エジプトのファラオについて説明したパネル、スイスの全く別の遺跡について説明したパネルもあり、博物館側の意図が分からない。地方の博物館はこんなものなのか、これがティチーノ風味なのか。特に得るものなく見学を終える。その後、係の人の案内で英語のベリンツォーナ説明ビデオを見た。

    暑い中うろうろして、城壁の上を歩いた後徒歩で街に下る。ベンチで少し休んでから、カステルグランデに向かう。もうこの時点でまだ午前中なのに相当暑い。

    From Ticino
    モンテベッロ城からカステルグランデを望む

    From Elternsreise (12)
    コレジアータの裏にあった家。元は教会だったらしい。

    お城には広い芝生が広がっていて、地元の人も観光客もピクニックを楽しんでいる。城の中のレストランで食事をしようかとも思ったけど昨日の余りのパンと若干怪しくなっているチーズがまだあったのでそれで軽食。芝生に座ってしばしのんびりって日本ではあまりしない。一つには芝生がないからだが、もう一つには日本の野原は草があまりにも育ちすぎていて座ると草に囲まれてしまうので余り心地よくなく、さらに蚊がたくさんいるからではないかと思う。

    From Ticino
    カステルグランデ。前日ここで結婚式が行われたらしい。

    From Ticino
    カステルグランデの芝生から。

    From Ticino
    日曜日のベリンツォーナ目抜き通り。誰もいない。

    軽く城を周って、這々の体で下山。次は電車でリゾート地ロカルノへ向かう。

    ロカルノまでは約30分で到着。リゾート地なのに飲食店以外は全く営業していない。飲食店でも営業していないところがあるようだ。家々は明るい色で塗られ、山の中だけど南国らしい雰囲気に溢れている。

    荷物を置いて街を散策することにしたが、それ以外の入れ物がないので急遽ロカルノの絵柄入りショッピングバッグを購入。少し恥ずかしいが観光客なのでまあいいや。

    まずはジェラート。店員のおじさんが夏休みバイトっぽい若い女性にジェラートの混ぜ方、コーンへの乗せ方を伝授していた。めちゃくちゃ暑いのでおいしく感じる。

    From Ticino
    ピアッツァ・グランデ

    ロカルノの目的は、ヴィスコンティ城の中にある博物館。ローマ時代のガラス製品が収蔵されているらしい。入り口が分からず中右往左往する。やっと辿り着いた博物館は地味だった。博物館が入っているお城も壮大でも優美でもなく、古い石造りのお屋敷という風情。展示室はそれほど広くはないが、期待以上の展示物がいろいろとあったようで暑い中来た甲斐があった。室内の壁の所々に書きかけの絵があったけど、あれは数百年前に絵を描きかけてやめたのか、それとも中世マニアで絵に自信がある人がこっそりと落書きしたのか判断しかねる。

    From Ticino
    ヴィスコンティ城

    From Ticino
    ハトのガラス細工

    From Ticino
    誰が書いたのか、下書き風の線画。

    暑さにやられていたのでピアッツァ・グランデのカフェで私はコーヒー、夫は白ワインとオリーブを頼む。ワールドカップ決勝リーグ、ドイツ対イギリス戦を見る。ドイツ語圏スイス人はドイツ嫌いという定説があるのだけどいざとなるとドイツを応援するのかどうなのか、近くにいたドイツ語圏の家族はドイツを応援していた。観戦中にイギリス幻のゴールも見る。ワールドカップ開催に合わせてどこの店も大画面のテレビを設置して客寄せをしていたが、いくつかの店の方がなぜか中継が早く入るらしくゴールの瞬間を見る前に喜びの歓声、外す前に失望のため息が聞こえ、興ざめ。なぜ違いが出てしまうのか。

    電車の時間も迫ってきたので前半終了後にカフェを後にし、駅方面に戻ることにする。時間が少しあったのでロカルノ湖で水上スノーボードのようなことをする人々を観察。その後少し湖周りを歩く。最後に駅の近くのサン・ヴィットーレ教会に行ってみるがミサの真っ最中で中には入れなかった。どうも古い教会らしいのだが、現在は修復された後の姿に見えた。

    From Elternsreise (12)
    Giuseppe Cattoriなる人物の像の周りにはなぜかなすが植えられていた。

    レストランに入って次の電車で帰るかどうか最後まで迷うものの、結局サンドイッチに落ち着く。電車の中で食べるサンドイッチは空腹のためか今までで一番おいしいものに思えたが、満たされてくるとただのチーズとハムのサンドイッチであることが分かってきた。本当に飢えていたらしい。

    チューリッヒに戻ると、大都会の別の世界にやってきたように感じる。日本の大都会に比べたら小さい街なのだけど。

    2010年7月20日火曜日

    ティチーノ旅行:1日目(6月26日)

    チューリッヒ-アイローロ(スイス国鉄)
    アイローロからボスコまでストラーダ・アルタをハイキング
    ボスコからポストバスでファイド、ファイドからベリンツォーナまでスイス国鉄

    7:31発の電車で出発。アイローロまで一本で、二時間弱で着く。スイスは小さい国なので遠出をするようでもあまり時間がかからない。ゴッタルトトンネルをくぐれば、そこはすでにアイローロ。トンネルの手前はさぞかし山が美しいだろう、と窓に張り付いて見ていたが山の中を走っているため小さなトンネルばかりで、見えても山の頂上は遙か上方にあってよく見えなかった。谷間の村々は日当たりが悪そうで、冬など高山に遮られてほとんど日が当たらないんじゃないかと思う。

    アイローロは峠越えの重要地点として栄えていたようだが、度重なる雪崩と大火事によって街が破壊され、かつての美しさは見る影もないとのこと。本当は観光案内所に寄って情報を集めたかったのだけど土日は休み。土日休みの観光案内所なんて意味ないよ…。

    From Ticino
    アイローロを行く

    駅前からしっかりと標識が整備されていて、分岐点毎に矢印か標識があるので地図無しで歩いて行ける。ヴァッレを通過し、マドラーノの道端で休憩する。共用水くみ場があったので水を補給。次の村ブルニャスコでもよい休憩所が見当たらず、日の当たる道端に座る。

    From Ticino
    アイローロからヴァッレ間の風景

    結構大きい村アルトランカで喫茶店に迷った末入らず。せっかくだから今回の行程での最高地点クレスタ・ディ・ソプラで休もうかと思ったのだがその地点には休憩所はなかった。仕方がないので次の村ロンコまでひたすら歩く。

    From Ticino
    行程中最高点、クレスタ・ディ・ソプラ

    ロンコでは教会の正面に座って何とか昼食を食べる。クスクスサラダと、オープンサンド。教会の掃除をしていたがそれ以外はあまり人の気配がしない。すぐ近くを風の力のみで飛ぶ飛行機のようなものがどんどん飛んでいって怖い。

    From Ticino
    ロンコの教会

    あまりに日差しが強い上、全然日陰で休めないので次の村でこそ喫茶店に入るつもりだったが、デッジオでもそうした店は見当たらない。しばらく行くと車道を離れて未舗装の道に入る。この行程で唯一ガイドブックに言及のあった古い教会サン・マルティノを楽しみにしていたのにとても小さい教会で中が見れそうになかったのでがっかり。近づいて確認しなかったので、もしかしたら見れたのかもしれないが…。

    From Ticino
    サン・マルティノ教会

    ここら辺から、じょじょに鼻が悪くなってくる。雨が数週間続いた後の週末だったためか、そこら中で酪農家が牧草を刈り取ってまるめる作業をしていたのと、野草がちょうど花粉を飛ばす時期に当たったのが原因らしい。

    ルレンゴのAgriturismo Da Paolinで待望のコーヒー。疲れていたので40分くらいぼーっとしてしまった。

    ルレンゴを後にして森の中に入り、一気に下っていく。この行程はほとんどが舗装されているか、されていなくても砂利を敷き詰めたような道で歩くのに全然困らなかったが、ここだけは山っぽかった。急な道を下っていく。1160メートルという表示のある場所で休憩。思い出してみると、下っている間誰ともすれ違わなかった。それなりにメジャーなハイキングコースらしいのに週末でもそこまで混雑するわけではないらしい。

    From Ticino
    ミヤマバイケイソウっぽい花

    From Ticino
    山を下る

    山を下りきってフレッジオに出た。終点のオスコまであと少し、休憩無しですぐに着くだろう、となめていたら全く辿り着かない。今まで要所要所にくどいほどに出ていた標識、赤と白の目印のペンキも消え失せてしまった。途中犬を連れたおじさんに道を教えてもらう。休憩せずに行くはずだったがあまりにもしんどくて休憩。

    From Ticino
    フレッジオが見えた!ここからが長かった…

    17:20にオスコ着。ポストアウトにはまだ時間があったのでカフェに入る。ちょうど、韓国ウルグアイ戦を中継していた。私の鼻はひどくなるばかりで、何個も持ってきていたティッシュがなくなってしまうほど。こんなに鼻が詰まったことはないと言ってもいい。

    17:58のポストアウトに乗ってファイドの駅まで出る。途中つづら折りで、まともに小型バスが曲がれないようなカーブが続く。そんな中、運転手の兄ちゃんは携帯電話で話し始めた。慣れているのだろうけど恐ろしい。

    ファイドからベリンツォーナまでスイス国鉄で移動。途中魅力のありそうな街をいくつか駆け抜ける。特に、レヴェンティーナ谷とブレニオ谷との合流地点に位置するビアスカの風景は圧巻。ロマネスクの教会もあるらしく、できれば寄りたかった街。

    ベリンツォーナは州都であるらしいのだが、こぢんまりとしていてのんびりとした空気が漂っている。駅前から旧市街を歩く限り高いビルもない。ベリンツォーナは城が三つある街として世界遺産登録もされている。いかにもヨーロッパの城、という感じで城壁はぎざぎざとしており、なかなか見応えがあるからもっと日本人が見に来ても良さそうだが、誰一人として見かけなかった。チューリッヒでは見かける中国人観光客もここにはいないらしい。

    From Ticino
    インデペンデンツァ広場

    予約してあったベリンツォーナのユースホステルは設備もあまりよくなく、部屋が何と言っても西日が当たって暑すぎて不快だった。昔のパレスを改装したという建物なので内装に期待していたのだが、近代的に作り替えられていて趣もない。ドイツのユースが快適だからそれなりに期待していたのだけど、ユースによって当たり外れがあることがよく分かった。同じ値段なら、民宿のようなところの方がよかったのかもしれない。

    シャワーを浴びて身支度を調え夕食へ。Rristorante Coronaで。店員はなぜか日本語がかなり話せた。できればティチーノ独特の料理が食べたかったのだが、メニューはイタリア語だしなんだかよく分からないしお腹がすいているし、とピザと、プロシュートとメロンで妥協してしまう。それなりにおいしかったのだが、もう少し粘って解読するか、あらかじめきちんと下調べして来るべきだった。ティチーノ・メルローの赤ワインはおいしかった。

    食後夜のベリンツォーナを少し散歩。ワールドカップ観戦用に、広場にスクリーンがしつらえられてお祭り会場のようになっていた。3つの城もそれぞれライトアップされて美しい。華がある街ではないけど、自然も豊かだし通り過ぎるのはもったいない。

    ユースに帰宅後、あまりにも疲れていて倒れるように寝てしまう。夜中、あまりの暑さと、近くの線路を走る電車の音、夜中なのにボンボンとうるさい教会の鐘の音で目が覚めて、体は疲れているのに眠れない。鼻づまりもひどい。首の後ろと手首を水で冷やしてようやく寝付いた。

    2010年7月13日火曜日

    Ticino旅行

    気づいたら三ヶ月もあいていた。その間に日本に帰ったり小旅行したりワールドカップ日本戦スタジオ観戦に参加したり私の両親がこちらに遊びに来て案内したりといろいろとあった。

    メモ的にTicino旅行記をとりあえず書く。

    スイスを全然旅していないので、八月末に迫るスイス発を前にいろいろと行っておかなければ、ということで最初に出た案はミュスタイアだった。スイスの東の果てで、スイス人にとってもかなり田舎らしい。鄙びたところ大好きな私としては最高で早速案も作ったのだが、スイスだから山歩きしなきゃ!ということもあって、前々から興味のあったティチーノ(ドイツ語ではテッシン)に変更。

    ガイドブックを各種借りだして検討した結果、ルートは以下のようになった。
    1日目:チューリッヒからAiroloまで電車で入り、そこからStrada Altaというハイキングルートを歩く。約五時間半のルート。終点のBoscoよりFaidoまでバスに乗り、そこから電車でBellinzonaまで行く。Bellinzonaのユースホステル泊。
    2日目:Bellinzonaを観光後、Locarnoへ移動。Locarnoにはローマ時代のガラス製品を展示する博物館があるらしいのでそこへ。夕方Zurich行きの電車に乗って帰宅。

    1日目メモ
    • Strada Altaは舗装されている道が多かった。最後の森の下りを除けば歩きやすいが少し物足りないかも。景色は素晴らしい。
    • ちょうど前の週までの雨が上がっていいお天気だったので、牧草の刈り取りと丸める作業を行っていた。牧草アレルギーがある私には厳しかったようで、かつてないほどの鼻炎に苦しめられた。日本でイネ科とかのアレルギーがある人はヨーロッパでの散策は要注意。
    • BoscoからFaidoまでのバスはつづら折りをガンガン下りていく。途中で同僚と電話を始める運転手…怖い。
    • Bellinzonaのユースホステルはサービスがあまりよくなく、西日が当たる上に風通しも悪くて猛暑、さらに近くに線路が通っているので全く快適ではなかった。
    • 電車から見ただけだけど、2つの谷が合わさるBiasca辺りの風景は圧巻。ゆっくり散策したら面白いところかもしれない。ロマネスクの古い教会もたくさんあるらしい。
    2日目メモ
    • Bellinzonaは3つ城があることで有名。世界遺産にも指定されている。が、世界遺産大好きの日本人を全く見なかった。東洋人の観光客皆無。
    •  Ticinoの州都のわりにこぢんまりしているが、城の無骨さと下界のいくつかの建物の優美さと山々の雄大さが一気に楽しめる素敵な街だった。
    •  城の中の考古学博物館に行ったが年代が一切書いていない。関連があるかのように突然エジプトのファラオの説明があるし…もちろん何の関連もない。説明は全てイタリア語。
    •  Locarnoはリゾート気分漂う場所。アイス食べた。
    • ヴィスコンティ城に行ってローマのガラスを見る。城は思ったよりも立派ではなく、朽ち果てそうだったけど展示品は興味深かったらしいのでよかった。
    • 広場のカフェでイギリスドイツ戦を見た。ドイツ語圏スイス人はドイツ嫌いってことになってるけど、それらしい人達がドイツ応援していた。私たちのいたカフェの放送はなぜか数秒間遅れており、そのためにゴールが決まるか外れるかあらかじめ分かってしまうという残念な結果に。
    • 夕食食べて帰ろうかと思ったけどぴんと来ずサンドイッチ買って帰宅。旅先でおいしいものにありつくのは難しい。食べ物関係が原因で旅先で揉めることが多いような気がするな…。
    お金関係
    • ZurichからAirolo 一人19フラン(Halb Tax使用)
    • OscoからFaido Stazione 一人2.20フラン(Halb Tax使用)
    • FaidoからBellinzona 一人7.9フラン(Halb Tax使用)
    • BellinzonaからLocarno 一人4.10フラン(Halb Tax使用)