2010年8月17日火曜日

ジュネーブ紀行

夫が用事があったので私もついて行って観光した。

チューリッヒを七時過ぎに出る電車に乗り、ビール乗り換えで10時前にジュネーブ着。ここから個人行動。まずは観光案内所に行って、市街図と路線図をもらう。偶然並んでいた窓口のお兄さんがスペイン語バイリンガル(多分南米系の人)だったのでスペイン語を練習させてもらった。赤十字・赤新月博物館と、CERNのMicrocosmとどっちがおすすめか?と聞いてみたところ、赤十字・赤新月博物館の方がガイドツアーもあるし興味深いが、Microcosmは全体に文字の説明ばかりだ、しかし興味があれば面白いんじゃないか、とのことだった。

あまり面白くない予感はするが、せっかくなので前から予定していたMicrocosmに行くことにした。 MicrocosmはCERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の学習・解説のための施設。本当はCERN内部の見学ツアーに参加したかったのだが、一週間前に予約を試みたら九月いっぱいまで満員だった。Microcosmまではまず市電14番か16番に乗り、途中で56番のバスに乗り換えて終点1つ手前のバス停まで。途中移民街のような所を通っていく。乗り換え地点辺りは恐らく公営住宅であろう、同じ形のアパートが並んでいる。特に危険な感じはしないが、チューリッヒよりは少し荒れているような雰囲気がある。

終点で降りてからよくわからず門番に尋ねたら、英語が分かっているようだけどひたすらフランス語で返してきた。受付の建物に行け、ということらしい。入ってみるとレトロな雰囲気。60年代か70年代にできた日本の科学関係の博物館と雰囲気が似ている。意外と人が多く、子供連れで混雑していた。

From Genf
Microcosm内部。意外と混んでいる。


From Genf
ヨーロッパの若者がソ連やアメリカに行かなくとも物理学を研究できるようにすることもCERNの目的の1つだったらしい。教育を外部委託しない心意気がまぶしく見えた…。

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CERN入り口。一般人は入れないようだ。

展示は確かに案内所の人が言った通り、文字ばっかりだった。英仏独伊の四言語で書かれているのでいずれかがわかれば理解できる、はずだが、日本語でもよく分からない物理の説明を英語で読むのは骨が折れる。途中疲れてきて全部は読めなかった。前半は素粒子とは何か、後半はCERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)に関しての解説であった。物理の事象を数式を使わず言葉だけでわかりやすく説明するのは難しく、言葉だけで理解するのは無理なのではないかと思った。

見学終了後、お土産コーナーへ。お土産は意外にも充実している。しかも、けっこう安いと思う。素粒子のぬいぐるみがかわいかった。CERNトランプ(3フラン)と、CERNの研究を子供向けに説明したコミック(6フラン)を購入。Tシャツなど洋服類が充実していた。

その後道路を挟んで正面にある木でできたドームに行ってみた。中にはロレックス提供の展示がある。ちょうど映像を上映する時に入れたので見たが、最後ROLEXと大きく出るのでみな苦笑していた。

再びバス、トラムを乗り継ぎコルナヴァン駅まで戻る。Rough Guideに載っていたエチオピア料理店Zara 2001で昼食。店員が「食事?」と聞いてきたが聞き取れず、怪しい人が近づいてきたのかと思って最大限に警戒してしまい、失礼なことをしてしまった。本日のメニューが安かったので何かよく分からないがそれにした。あとミントレモネード。出てきたものは、金属製のお盆に4枚クレープを敷き詰めたものと何かの肉のピリ辛シチュー。レモネードは、ブルーハワイを薄めたようなどぎつい緑色の飲物だった。定食はどうも手で食べるらしいが、どうしたらいいのか全く分からず、店員ともフランス語でコミュニケーションが取れないので近くにいたカップルの真似をして食べた。味はよかったが量が多すぎて完食できず。途中、親戚らしき子供がやってきた。親族皆でトランプをしていたようだ。子供らはドイツ語をネイティブのように喋っていた。一族でスイスに分かれて住んでいるのかもしれない。

昼食後、トラムに乗って国連へ。ニュースで見たような名前を冠した建物が多く建っている。国連の建物に入るときには飛行機に乗るときのような身体チェックがある。その後、パスポート番号を登録され、その場で写真を撮られて身分証のようなものを作り、身につけなければいけない。あとで気づいたら私の名字は間違って登録されていた。ガイドツアーは大盛況で行列だった。夏休みだからだろうか。ガイドツアーは英、西、仏のいずれかは予約無しでも開催されていたようだった。本当はスペイン語がよかったけど、時間が遅すぎたので英語にした。英語ツアーの人どうぞ、と言われて移動したら別の建物でしばらく待たされた。本屋兼お土産物屋をその間にのぞく。お土産はどれもこれもやたら高く、多分国連の運営資金になってるんじゃないかと思う。


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国連正面入り口(一般客はここからは入れない)


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唐突に現れるガンジー像

二十分ほど待っていたらツアー開始。ツアーの中にカタルーニャ人の家族が3家族ほどいて、気になって仕方がなかったので写真を撮りますよ、と話しかけて交流を試みる。最初カタルーニャ語で話しかけてみたが、外人が話すとは基本的に思っていないので英語で返された。写真を撮ったあと、カタルーニャ人ですか?とカタルーニャ語で聞いたら通じなかったのでスペイン語で聞いたらやっと分かってもらえて、そこからはカタルーニャ語で話すことができた。やはり、驚いていた。そしてまだ十歳くらいの男の子にまで「ありがとう!」と言われた。彼はすでに立派なカタラニスタだと思う。

二つのホールにカタルーニャ出身の作家の作品が使われていて、1つはJosep Maria Sert、もう1つはつい最近できたばかりのMiquel Barcelóの作品。Josep Maria Sertの作品は黒と金の日本の屏風のようであった。絵自体は人類の進歩を描いていて全然屏風とは異なっていたが。未来派っぽいと言うか、共産主義の壁画みたいというか、時代を感じるものだった。ただ色が屏風っぽいので、絵をよく見なければ日本の歴史あるホテル(椿山荘とか)のような重厚な感じとも言える。カタルーニャ人が「スペインではなく、カタルーニャの作家である」とどうも係の人に説明していたようだ。


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手を伸ばしている人が案内の係員。

Miquel Barceloの作品はとにかくお金がかかったということでスペインでもかなりニュースになっていた。
UN artwork by Miquel Barcelo is a costy sum
写真を見ると光が天井からほのかに透けているように見えるが、これは白い塗料を全体に散らしてあるらしい。遠くから撮った写真しか見たことがなかったのでモデルニスモの作家のような、ガウディのモザイクのような作品かと思っていたが、まずつららというか鍾乳洞のような形を作り、その上に塗料を塗ったらしい。思ったよりもずっと気に入った。見る角度によって色と形が変わるというのがよい。カタルーニャ人たちも感動していた。

From Genf
ほぼ真横から作品を見ることができる。

ホールの天井以外にも至る所に各国から贈られた美術品がある。その国の特徴を表すものか、国連の理念を表すものかのいずれかなのでプロパガンダ芸術みたいなのが多く、それはそれでおもしろいが絵として面白いと思うものがあまりなかった。

国連見学後はWIPO(世界知的所有権機関)を見学。いちおうインフォメーションセンターがあるのだがお土産と本を少し売っているのと、10台ほどパソコンがあるだけ。そこに行くだけでも身分証をあずけてカードを首からかけなければいけない。用もないのに、インフォ以外の場所に入るのは無理そう。パンフレット系もネットからダウンロードできそうだったのでほとんどもらわずに帰ってきた。

From Genf
WIPOの庭にあったチーターの彫刻。

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WIPO正面入り口(工事中だった)。

バスに乗って駅に戻り、夫と合流して帰宅。

実用情報
CERN見学ツアーの解説と予約
Visit CERN - Guided Tours

Zara 2001
Rue de Lausanne 25
1201 Genève, Switzerland
022 731 06 96

ジュネーブの交通
tpg

国連ヨーロッパ本部
予約フォームを見たら、オプションとして見学のあとカフェテリアで食事をすることもできるらしい。

2010年8月4日水曜日

Paradies Schweiz (Museum für Gestaltung)

すでに10日ほど前になるけど、Museum für Gestaltungで特別展を見てきた。スイス人は自己イメージをどのようにとらえ、どのように提示してきたのか?を19世紀から現在に至るポスターを通して展示する。展示室は小さかったが見応えがあった。取り上げられていたスイスの自己イメージは3つ。1つめはマッターホルンに代表される山。2つめはスイス国旗の赤字に白の十字。3つめはハイジのような田舎の風俗。

印象に残ったものをいくつか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターで、建設禁止賛成派はスイスの国旗の上にミサイルのような形状のミナレットが立ち並び、ブルカをまとった女性が前面に描かれたポスターを制作した。かなりインパクトがある。スイス性がミナレットによって脅かされるイメージか。一方反対派はあえてスイスをアピールせず、「スイスの空は、全ての宗教を受け入れる広さがある」と空を広く取り、ポスターの下方に様々な宗教施設の屋根が並ぶデザインにした(なぜか、問題のミナレットはなかった)。

あとエイズ予防のためにコンドームの使用を呼びかけるポスター。ハイジのような素朴ないかにもスイス風衣装をまとった少女が親指にコンドームをはめて、「無しでするの?私無しでやれば」と言っている。リンク先の一番下の列、真ん中のポスター。他のバージョンは特にスイスのイメージは利用していないらしい。スイス=田舎者、というイメージを自虐的に利用しているという解説があった。

20世紀前半、第二次大戦前のポスターは山々の間を走る鉄道、高速道路の未来的イメージと山岳の清浄なるイメージを組み合わせたものがいくつかあった。最新の文明と、自然が同居する未来の楽園というイメージは今でもスイスのイメージとして有効なのではないか。スイスの有名山岳リゾートツェルマットからゴルナーグラートバーンに乗ったが、3000メートルを超える地点まで楽々と連れて行かれて安全なまま別世界を楽しむことができた。目の前に広がる雄大な山々は本物だけれど、そこに至るまでの道、あるいは終点のゴルナーグラート自体はしっかり手が入って骨抜きになっている自然だ。また、ティチーノのハイキングルートも途中何カ所も小さな流れを渡ったが、自然の景観を壊さないようにしつつ、コントロールされていた。すっかり手なずけられた美しい自然を安心して楽しめる、未来の国を実現している希有な場所なんだと思う。

山、スイス国旗、田舎はスイスの全地域共通のイメージであるらしいことを確認したが、スイスに関して最も不思議なのはいわゆる国民としての統合を何によって行った(行っている)のかということである。多くの国でそれは言葉であり、国語の統合に心を砕き中央が認める言語以外を滅ぼしていったのだろうけど、スイスでは公用語が4つもあり、言語による統合は全く行われていない。この展覧会で取り上げられたようなスイスイメージが寄与している部分もあるのだろうか。


美術館ではもう一つ別の展示をやっていてそれも見た。Charlotte Perriandという女性に関する展示で誰か全く知らなかったがコルビジェと仕事をしていた人らしい。二度来日している。1930年代に政治的な活動にコミットしていた頃の作品が高校の文化祭のクラス発表を思い出させるコラージュで、コラージュしたくなった。椅子、写真の展示、本人が語るビデオの上映もあり興味がある人にはたまらない展示ではないかと思う。

博物館自体もレトロな建物で、魅力がある。50年代に建てられた大学の校舎のよう。なぜかフロアマップがないのだが、それもまたよし。なかなかに快適そうなカフェも併設されている。

Museum für Gestaltung
Ausstellungsstr. 60
CH-8005 Zürich


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2010年7月22日木曜日

Schweizerisches Landesmuseum

チューリッヒでの日々も終わりに近づいているので、慌てていろいろと巡ろうとしている。今日はSchweizerisches Landesmuseum(スイス国立博物館)に行ってきた。木曜日なので夜の七時まで開いている(それ以外の日は午後五時まで)。

特別展のZauber Berge. Die Schweiz als Kraftraum und Sanatorium(魔の山:ジムとサナトリウムとしてのスイス)目当てで行ったが、せっかくなのでざっくり全部見てきた。

とりあえずよく知らないスイスの歴史を眺めようと、チケットを買った後すぐに二階に上がってスイスの歴史コーナーを見る。歴史順に並んでいるわけではなく、4つのテーマに沿って展示が分かれていた。1つめは、スイスは常にスイス人が住み続けていたわけではない、と絶え間ない移住者についての解説。ホモ・サピエンスから最近の移民まで。19世紀までは移民の送り出し国だったが、その後のイタリア移民をはじめ、第二次大戦後からは旧ユーゴ、トルコ、イタリア、ポルトガル、スペイン等から大量に移民がやってきた。戦後には移民受け入れ反対の住民投票(スイスは直接民主制)も行われたが全て否決された。

2つめのコーナーは宗教について。宗教改革の有名人カルヴァンとツヴィングリはどちらもスイス人なので、宗教改革が展示の中心になっている。カトリックとプロテスタントの教会の内装がどのように異なるか、写真を並べて提示していたのが面白かった。

3つめはスイス連邦の歴史。スイスの歴史がさっぱり分からないので解説を読む気にもならず飛ばしてしまった。女性の権利の展示が一角にあったのだが、妙に新しく見えたので今調べたらスイスは1971年になるまで女性に選挙権がなく、連邦の憲法で男女同権が保証されたのは1981年のことらしい(政治-スイスの情報)。女性に選挙権を与えるか否か、の住民投票のポスターが強烈だった。賛成側は、「女性が選挙権を得るためには、男性の貴方が必要なのです」と花束と、それを持つ男性の手が描かれて優しさを強調しているのに対し、反対側は赤ちゃんのおしゃぶりにハエが止まっている絵が描かれていた。女性の本分をないがしろにすると子供が犠牲になる、ということなのか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターもそうだけど、既成の価値観を守ろうとする側のポスターの表現の方が強烈だ。


4つめは、外国でお金を儲けたスイス人について。古くは貧しさからヨーロッパ各地で傭兵として働き、中には一儲けして帰ってきて豪邸を建てた人もいたらしい。植民地主義の時代に入ってからは、植民地に絡む貿易(奴隷貿易とか)に従事した大商人も生まれた。最後は現在のスイスの象徴、銀行業で締める。

ここまででかなりのボリュームでふらふらになった。続いてスイスの家具という特別展のフロアに入ったがもう見る気にならない。入場券を常設展と特別展で分けてほしい。全て込みで10フランは展示の量を考えれば納得だが1日で見るのは体力が要る。一回出ても券の購入時にもらうシールさえ付けていれば何度でも再入場可能なので外に出て休んでは入館、とすればいいのかもしれないけど…。

別の特別展、ナイフの展示も素通りし、恐らく常設と思われる美術展示も素通り。この美術展示はかなりの量があるのだがぎゅうぎゅうに所狭しと展示してあって、どれが大事なのかよく分からないくらい。キリスト教美術が充実しているようだった。

今日のお目当ての「魔の山」展示を見る前にカフェテリアでコーヒーを飲む。紙コップに入ったカプチーノ4フラン。

「魔の山」の展示はかなりおもしろかった。大体3つに分かれており、1つめはスイスの4大健康スポットの解説。2つめは、20世紀初頭から大戦直後くらいまで、健康志向の人々を引きつけた(もちろんスイスが売り出した要素でもある)スイスの4つの要素、水、高地、ハーブ、光について。3つめは、トレーニングとスイス発健康食品。

スイスの4大健康スポットは、アスコーナにあるモンテベリタ、チューリッヒベルクのクリニック(ミュースリー産みの親がやっていた)、サンモリッツのサナトリウム、 どこか忘れたのだがアルプスの中にある、皮膚結核専門の療養所の4つ。モンテベリタは自然に帰ることが人間のためになるという思想を持った人々のコロニーだった。動物性食品は一切取らず、人によっては喉の渇きも果物で癒すという徹底ぶり。日光が重要な要素で、太陽の光を浴びる全裸の若者の後ろ姿を描いた絵もある。何と神殿まであったらしい。
かなり興味深いので自分用のメモをかねて関連リンクを貼っておきます。
    バクーニンやヘッセも来ていたらしい。

    スイスと言えばハイジ、というくらいおなじみだけど、ハイジの物語も都会を離れ、肉食を離れ、高地で清浄な生活をするのが理想的というイデオロギーに沿っているという。ハイジはフランクフルトという大都会に行って病気になってしまい、その病気は山に戻るまで治ることはない。足の悪いクララは山に来たら何と歩けるようになってしまう。

    ヨーロッパ人が太陽の光が好きすぎて辟易することがあるが、こういう考え方が染みついてるのだとしたら納得する。また、この間ツェルマットに行って3000メートルを超えるところまで楽々電車で行くことができ、山頂の豪華な設備で快適に過ごせることに驚いたのだけど、こんな設備が100年前にできたのはこういう高地と光への信仰があったからでもあるのだろう。

    山岳リゾートとか銀行業とか、他に類を見ないお金儲けのアイディアがスイスにはあって、そのオリジナリティにはびっくりする。人々は日本人みたいにシャイで、どちらかというと横並び好きに見えるのだけど。

    スイス健康産業華やかなりし頃の写真を3Dで見る映写室のようなものがあって、それもおもしろかった。ヌーディストの写真がたくさんあってどぎまぎした。

    3時半前に入館して、見終わるのに7時少し前までかかった。全部じっくり見ようと思ったら1日では足らないと思う。今は改装工事中なので、もしかすると改装が終わったらもっと展示物が増えてしまうのかもしれない。

    今回はモンテベリタ情報を得ることができたのが収穫。Museum für Gestaltungでスイスの観光イメージ戦略についての展示をしているので、そちらを今週中に見に行ってスイスの知識をもうちょっと深めてくる予定。

    2010年7月21日水曜日

    湖水浴

    暑くて仕方がないので近所のプールに行ってきた。プールと言っても、チューリッヒ湖の一角を囲い、岸辺に芝生があり、着替えるところ、シャワー、ロッカーなどを備えた建物が併設されているもので普通のプールではない。

    日も陰り、雨の降りそうな時間帯に行ったため水が冷たかった。普段長距離を泳ぐのには慣れているので大丈夫だと思っていたが、足が着かない自然の湖で、風が強いのか近くをクルーザーでも徹ったのか波が高く、顔に水がかかった。動揺して水を飲んでしまったり呼吸が乱れたりして、おぼれるかと思った。あまりにぐったりしたので30分未満ですごすごと帰る。そんな姿を見かねたのか、受付の人が次回使える二人分の券をくれた。

    岸辺の芝生で1日ごろっとして本を読んだり、 気が向いたら泳いだり、なんてお茶目すぎる。やっぱりチューリッヒはいい街だなあ。

    岸辺でそのまま隠しもせず着替える人が数人いたがあれは普通なのだろうか。あんなに堂々としていたら、そういうものと思わざるを得ない。

    ティチーノ旅行:データ

    1日目

    ストラーダ・アルタ
    レストラン、民宿などはアイローロ、アルタンカ、ルレンゴ、フレッジオ、オスコにはあるが他の村にはなかった。休憩所は整備されていないので店に入って休んだ方がいいかもしれない。日差しを避ける場所があまりない。
    Strada Alta情報ページ(独)

    Agriturismo Da Paolin
    素朴な民宿。庭先にテラスがある。コーヒーはチューリッヒで飲むよりも値段が安かったと思う。

    Ristorante Corona
    店員が親切であった。食べたものと値段。
    ティチーノ・メルロー 6.60フラン
    プッタネスカピザ 16.00フラン
    プロシュートとメロン 21.00フラン
    ミネラルウォーター1リットル瓶 7フラン
    計50.60フラン

    ベリンツォーナのユースホステル
    駅から歩いて約10分。朝食込みということを除いてはあまりおすすめできない宿。モンテベッロ城は近い。値段は、2人部屋の場合1人45.55フラン+税金0.45フラン。

    Postauto
    ボスコからファイド駅まで利用。時刻表をダウンロードできる。


    2日目
    多くの喫茶店、レストランが日曜日は閉まるので要注意。

    ベリンツォーナ
    Museo archeologico e civico
    よっぽど考古学に詳しい人ならおもしろいのかもしれない。本文中に書いた通り、解説がほとんどないので何がなにやら。

    ロカルノ
    Museo archeologico
    ガラス細工がおもしろい。

    Hotel Ristorante Dell'Angelo
    カフェとワインで休憩した。店員がぶっきらぼうだが親切だった。

    ティチーノ旅行:2日目(6月27日)

    何時に起きたか記憶がないけど、多分八時か九時。今日も晴れているが、前日ほどは空気が澄んでいないようで、遠くにもやがかかっているように見える。

    食堂で朝食をとる。バイキング形式だが、ハムもチーズも一種類しかなく、果物もないし、ドイツのハイデルベルクのユースホステルのような豪華朝食を期待していたのでがっかり。ジュース、コーヒー、お茶類、ココアと飲み放題で、シリアルもあるし朝食バイキングの基本は押さえているのだが。昨日からこのユースホステルには失望し続けているので余計にがっかり来ているのかもしれない。

    カウンターに鍵を置いて観光に出かける。まずは、ユースホステルの裏に位置するモンテベッロ城から。石段を上がり、城の横の葡萄畑を横目に見ながら10分弱歩いて入り口に到着。優美さのかけらもない、いかにも要塞という感じの城。レゴで作れそう。Museo archeologico e civicoという考古学関係の博物館があるということでそれらしきところに近づくと、ベルが鳴って係の人が出てきた。どことなくゆるい。4フラン払って入館する。荷物は預かってくれた。

    From Ticino
    モンテベッロ城

    中の展示はいちおう時代別になっているようだが、どこで掘り出されたいつの時代のものなのか全く記載がない。解説パネルもあるのだが、全てイタリア語で分からない。なぜか、エジプトのファラオについて説明したパネル、スイスの全く別の遺跡について説明したパネルもあり、博物館側の意図が分からない。地方の博物館はこんなものなのか、これがティチーノ風味なのか。特に得るものなく見学を終える。その後、係の人の案内で英語のベリンツォーナ説明ビデオを見た。

    暑い中うろうろして、城壁の上を歩いた後徒歩で街に下る。ベンチで少し休んでから、カステルグランデに向かう。もうこの時点でまだ午前中なのに相当暑い。

    From Ticino
    モンテベッロ城からカステルグランデを望む

    From Elternsreise (12)
    コレジアータの裏にあった家。元は教会だったらしい。

    お城には広い芝生が広がっていて、地元の人も観光客もピクニックを楽しんでいる。城の中のレストランで食事をしようかとも思ったけど昨日の余りのパンと若干怪しくなっているチーズがまだあったのでそれで軽食。芝生に座ってしばしのんびりって日本ではあまりしない。一つには芝生がないからだが、もう一つには日本の野原は草があまりにも育ちすぎていて座ると草に囲まれてしまうので余り心地よくなく、さらに蚊がたくさんいるからではないかと思う。

    From Ticino
    カステルグランデ。前日ここで結婚式が行われたらしい。

    From Ticino
    カステルグランデの芝生から。

    From Ticino
    日曜日のベリンツォーナ目抜き通り。誰もいない。

    軽く城を周って、這々の体で下山。次は電車でリゾート地ロカルノへ向かう。

    ロカルノまでは約30分で到着。リゾート地なのに飲食店以外は全く営業していない。飲食店でも営業していないところがあるようだ。家々は明るい色で塗られ、山の中だけど南国らしい雰囲気に溢れている。

    荷物を置いて街を散策することにしたが、それ以外の入れ物がないので急遽ロカルノの絵柄入りショッピングバッグを購入。少し恥ずかしいが観光客なのでまあいいや。

    まずはジェラート。店員のおじさんが夏休みバイトっぽい若い女性にジェラートの混ぜ方、コーンへの乗せ方を伝授していた。めちゃくちゃ暑いのでおいしく感じる。

    From Ticino
    ピアッツァ・グランデ

    ロカルノの目的は、ヴィスコンティ城の中にある博物館。ローマ時代のガラス製品が収蔵されているらしい。入り口が分からず中右往左往する。やっと辿り着いた博物館は地味だった。博物館が入っているお城も壮大でも優美でもなく、古い石造りのお屋敷という風情。展示室はそれほど広くはないが、期待以上の展示物がいろいろとあったようで暑い中来た甲斐があった。室内の壁の所々に書きかけの絵があったけど、あれは数百年前に絵を描きかけてやめたのか、それとも中世マニアで絵に自信がある人がこっそりと落書きしたのか判断しかねる。

    From Ticino
    ヴィスコンティ城

    From Ticino
    ハトのガラス細工

    From Ticino
    誰が書いたのか、下書き風の線画。

    暑さにやられていたのでピアッツァ・グランデのカフェで私はコーヒー、夫は白ワインとオリーブを頼む。ワールドカップ決勝リーグ、ドイツ対イギリス戦を見る。ドイツ語圏スイス人はドイツ嫌いという定説があるのだけどいざとなるとドイツを応援するのかどうなのか、近くにいたドイツ語圏の家族はドイツを応援していた。観戦中にイギリス幻のゴールも見る。ワールドカップ開催に合わせてどこの店も大画面のテレビを設置して客寄せをしていたが、いくつかの店の方がなぜか中継が早く入るらしくゴールの瞬間を見る前に喜びの歓声、外す前に失望のため息が聞こえ、興ざめ。なぜ違いが出てしまうのか。

    電車の時間も迫ってきたので前半終了後にカフェを後にし、駅方面に戻ることにする。時間が少しあったのでロカルノ湖で水上スノーボードのようなことをする人々を観察。その後少し湖周りを歩く。最後に駅の近くのサン・ヴィットーレ教会に行ってみるがミサの真っ最中で中には入れなかった。どうも古い教会らしいのだが、現在は修復された後の姿に見えた。

    From Elternsreise (12)
    Giuseppe Cattoriなる人物の像の周りにはなぜかなすが植えられていた。

    レストランに入って次の電車で帰るかどうか最後まで迷うものの、結局サンドイッチに落ち着く。電車の中で食べるサンドイッチは空腹のためか今までで一番おいしいものに思えたが、満たされてくるとただのチーズとハムのサンドイッチであることが分かってきた。本当に飢えていたらしい。

    チューリッヒに戻ると、大都会の別の世界にやってきたように感じる。日本の大都会に比べたら小さい街なのだけど。

    2010年7月20日火曜日

    ティチーノ旅行:1日目(6月26日)

    チューリッヒ-アイローロ(スイス国鉄)
    アイローロからボスコまでストラーダ・アルタをハイキング
    ボスコからポストバスでファイド、ファイドからベリンツォーナまでスイス国鉄

    7:31発の電車で出発。アイローロまで一本で、二時間弱で着く。スイスは小さい国なので遠出をするようでもあまり時間がかからない。ゴッタルトトンネルをくぐれば、そこはすでにアイローロ。トンネルの手前はさぞかし山が美しいだろう、と窓に張り付いて見ていたが山の中を走っているため小さなトンネルばかりで、見えても山の頂上は遙か上方にあってよく見えなかった。谷間の村々は日当たりが悪そうで、冬など高山に遮られてほとんど日が当たらないんじゃないかと思う。

    アイローロは峠越えの重要地点として栄えていたようだが、度重なる雪崩と大火事によって街が破壊され、かつての美しさは見る影もないとのこと。本当は観光案内所に寄って情報を集めたかったのだけど土日は休み。土日休みの観光案内所なんて意味ないよ…。

    From Ticino
    アイローロを行く

    駅前からしっかりと標識が整備されていて、分岐点毎に矢印か標識があるので地図無しで歩いて行ける。ヴァッレを通過し、マドラーノの道端で休憩する。共用水くみ場があったので水を補給。次の村ブルニャスコでもよい休憩所が見当たらず、日の当たる道端に座る。

    From Ticino
    アイローロからヴァッレ間の風景

    結構大きい村アルトランカで喫茶店に迷った末入らず。せっかくだから今回の行程での最高地点クレスタ・ディ・ソプラで休もうかと思ったのだがその地点には休憩所はなかった。仕方がないので次の村ロンコまでひたすら歩く。

    From Ticino
    行程中最高点、クレスタ・ディ・ソプラ

    ロンコでは教会の正面に座って何とか昼食を食べる。クスクスサラダと、オープンサンド。教会の掃除をしていたがそれ以外はあまり人の気配がしない。すぐ近くを風の力のみで飛ぶ飛行機のようなものがどんどん飛んでいって怖い。

    From Ticino
    ロンコの教会

    あまりに日差しが強い上、全然日陰で休めないので次の村でこそ喫茶店に入るつもりだったが、デッジオでもそうした店は見当たらない。しばらく行くと車道を離れて未舗装の道に入る。この行程で唯一ガイドブックに言及のあった古い教会サン・マルティノを楽しみにしていたのにとても小さい教会で中が見れそうになかったのでがっかり。近づいて確認しなかったので、もしかしたら見れたのかもしれないが…。

    From Ticino
    サン・マルティノ教会

    ここら辺から、じょじょに鼻が悪くなってくる。雨が数週間続いた後の週末だったためか、そこら中で酪農家が牧草を刈り取ってまるめる作業をしていたのと、野草がちょうど花粉を飛ばす時期に当たったのが原因らしい。

    ルレンゴのAgriturismo Da Paolinで待望のコーヒー。疲れていたので40分くらいぼーっとしてしまった。

    ルレンゴを後にして森の中に入り、一気に下っていく。この行程はほとんどが舗装されているか、されていなくても砂利を敷き詰めたような道で歩くのに全然困らなかったが、ここだけは山っぽかった。急な道を下っていく。1160メートルという表示のある場所で休憩。思い出してみると、下っている間誰ともすれ違わなかった。それなりにメジャーなハイキングコースらしいのに週末でもそこまで混雑するわけではないらしい。

    From Ticino
    ミヤマバイケイソウっぽい花

    From Ticino
    山を下る

    山を下りきってフレッジオに出た。終点のオスコまであと少し、休憩無しですぐに着くだろう、となめていたら全く辿り着かない。今まで要所要所にくどいほどに出ていた標識、赤と白の目印のペンキも消え失せてしまった。途中犬を連れたおじさんに道を教えてもらう。休憩せずに行くはずだったがあまりにもしんどくて休憩。

    From Ticino
    フレッジオが見えた!ここからが長かった…

    17:20にオスコ着。ポストアウトにはまだ時間があったのでカフェに入る。ちょうど、韓国ウルグアイ戦を中継していた。私の鼻はひどくなるばかりで、何個も持ってきていたティッシュがなくなってしまうほど。こんなに鼻が詰まったことはないと言ってもいい。

    17:58のポストアウトに乗ってファイドの駅まで出る。途中つづら折りで、まともに小型バスが曲がれないようなカーブが続く。そんな中、運転手の兄ちゃんは携帯電話で話し始めた。慣れているのだろうけど恐ろしい。

    ファイドからベリンツォーナまでスイス国鉄で移動。途中魅力のありそうな街をいくつか駆け抜ける。特に、レヴェンティーナ谷とブレニオ谷との合流地点に位置するビアスカの風景は圧巻。ロマネスクの教会もあるらしく、できれば寄りたかった街。

    ベリンツォーナは州都であるらしいのだが、こぢんまりとしていてのんびりとした空気が漂っている。駅前から旧市街を歩く限り高いビルもない。ベリンツォーナは城が三つある街として世界遺産登録もされている。いかにもヨーロッパの城、という感じで城壁はぎざぎざとしており、なかなか見応えがあるからもっと日本人が見に来ても良さそうだが、誰一人として見かけなかった。チューリッヒでは見かける中国人観光客もここにはいないらしい。

    From Ticino
    インデペンデンツァ広場

    予約してあったベリンツォーナのユースホステルは設備もあまりよくなく、部屋が何と言っても西日が当たって暑すぎて不快だった。昔のパレスを改装したという建物なので内装に期待していたのだが、近代的に作り替えられていて趣もない。ドイツのユースが快適だからそれなりに期待していたのだけど、ユースによって当たり外れがあることがよく分かった。同じ値段なら、民宿のようなところの方がよかったのかもしれない。

    シャワーを浴びて身支度を調え夕食へ。Rristorante Coronaで。店員はなぜか日本語がかなり話せた。できればティチーノ独特の料理が食べたかったのだが、メニューはイタリア語だしなんだかよく分からないしお腹がすいているし、とピザと、プロシュートとメロンで妥協してしまう。それなりにおいしかったのだが、もう少し粘って解読するか、あらかじめきちんと下調べして来るべきだった。ティチーノ・メルローの赤ワインはおいしかった。

    食後夜のベリンツォーナを少し散歩。ワールドカップ観戦用に、広場にスクリーンがしつらえられてお祭り会場のようになっていた。3つの城もそれぞれライトアップされて美しい。華がある街ではないけど、自然も豊かだし通り過ぎるのはもったいない。

    ユースに帰宅後、あまりにも疲れていて倒れるように寝てしまう。夜中、あまりの暑さと、近くの線路を走る電車の音、夜中なのにボンボンとうるさい教会の鐘の音で目が覚めて、体は疲れているのに眠れない。鼻づまりもひどい。首の後ろと手首を水で冷やしてようやく寝付いた。

    2010年7月13日火曜日

    Ticino旅行

    気づいたら三ヶ月もあいていた。その間に日本に帰ったり小旅行したりワールドカップ日本戦スタジオ観戦に参加したり私の両親がこちらに遊びに来て案内したりといろいろとあった。

    メモ的にTicino旅行記をとりあえず書く。

    スイスを全然旅していないので、八月末に迫るスイス発を前にいろいろと行っておかなければ、ということで最初に出た案はミュスタイアだった。スイスの東の果てで、スイス人にとってもかなり田舎らしい。鄙びたところ大好きな私としては最高で早速案も作ったのだが、スイスだから山歩きしなきゃ!ということもあって、前々から興味のあったティチーノ(ドイツ語ではテッシン)に変更。

    ガイドブックを各種借りだして検討した結果、ルートは以下のようになった。
    1日目:チューリッヒからAiroloまで電車で入り、そこからStrada Altaというハイキングルートを歩く。約五時間半のルート。終点のBoscoよりFaidoまでバスに乗り、そこから電車でBellinzonaまで行く。Bellinzonaのユースホステル泊。
    2日目:Bellinzonaを観光後、Locarnoへ移動。Locarnoにはローマ時代のガラス製品を展示する博物館があるらしいのでそこへ。夕方Zurich行きの電車に乗って帰宅。

    1日目メモ
    • Strada Altaは舗装されている道が多かった。最後の森の下りを除けば歩きやすいが少し物足りないかも。景色は素晴らしい。
    • ちょうど前の週までの雨が上がっていいお天気だったので、牧草の刈り取りと丸める作業を行っていた。牧草アレルギーがある私には厳しかったようで、かつてないほどの鼻炎に苦しめられた。日本でイネ科とかのアレルギーがある人はヨーロッパでの散策は要注意。
    • BoscoからFaidoまでのバスはつづら折りをガンガン下りていく。途中で同僚と電話を始める運転手…怖い。
    • Bellinzonaのユースホステルはサービスがあまりよくなく、西日が当たる上に風通しも悪くて猛暑、さらに近くに線路が通っているので全く快適ではなかった。
    • 電車から見ただけだけど、2つの谷が合わさるBiasca辺りの風景は圧巻。ゆっくり散策したら面白いところかもしれない。ロマネスクの古い教会もたくさんあるらしい。
    2日目メモ
    • Bellinzonaは3つ城があることで有名。世界遺産にも指定されている。が、世界遺産大好きの日本人を全く見なかった。東洋人の観光客皆無。
    •  Ticinoの州都のわりにこぢんまりしているが、城の無骨さと下界のいくつかの建物の優美さと山々の雄大さが一気に楽しめる素敵な街だった。
    •  城の中の考古学博物館に行ったが年代が一切書いていない。関連があるかのように突然エジプトのファラオの説明があるし…もちろん何の関連もない。説明は全てイタリア語。
    •  Locarnoはリゾート気分漂う場所。アイス食べた。
    • ヴィスコンティ城に行ってローマのガラスを見る。城は思ったよりも立派ではなく、朽ち果てそうだったけど展示品は興味深かったらしいのでよかった。
    • 広場のカフェでイギリスドイツ戦を見た。ドイツ語圏スイス人はドイツ嫌いってことになってるけど、それらしい人達がドイツ応援していた。私たちのいたカフェの放送はなぜか数秒間遅れており、そのためにゴールが決まるか外れるかあらかじめ分かってしまうという残念な結果に。
    • 夕食食べて帰ろうかと思ったけどぴんと来ずサンドイッチ買って帰宅。旅先でおいしいものにありつくのは難しい。食べ物関係が原因で旅先で揉めることが多いような気がするな…。
    お金関係
    • ZurichからAirolo 一人19フラン(Halb Tax使用)
    • OscoからFaido Stazione 一人2.20フラン(Halb Tax使用)
    • FaidoからBellinzona 一人7.9フラン(Halb Tax使用)
    • BellinzonaからLocarno 一人4.10フラン(Halb Tax使用)

    2010年4月10日土曜日

    カタルーニャ語学習の奨学金の続き

    前回カタルーニャ語の奨学金について書いた際に、リンクを貼っていないことに全く気がついていませんでした。今読み返して、リンクを貼ったのはブログではなくてツイッターに貼ったのだと気がつきました。不完全な情報になってしまい申し訳ありませんでした。

    カタルーニャ語奨学金の情報はこちらです。Beques per a estudiants

    今確認したところ、締め切りは4月13日です。前回書類について書くと書いておきながら放置してしまい反省しています。しかし今書かないとこのまま忘れていきそうなので、来年受けようと思う方のためにもメモしておきたいと思います。

    このページ、カタルーニャ語でしか表記がありません。Institut Ramon Llullの他のページでは英、スペイン語の表記もあるのに。ハードルをあげているのでしょうか。

    1. 金額
    応募者が住む地域によります。ヨーロッパは900ユーロ、南北アメリカ(キューバ除く)1250ユーロ、キューバ2000ユーロ、その他の国1500ユーロが支給されます。交通費は出ません。

    2. 資格
    カタルーニャ語地域外(スペインの他地域ももちろん含む)に住み、カタルーニャ又はカタルーニャ語圏に関わるテーマを学ぶ人。とはいえ、研究者や学生でなくてもチャンスはあります。私のクラスメートのエクアドル人は翻訳家(カタルーニャ語ではない)でした。


    3. 提出時に必要な書類
    a. 身分証(パスポート、IDのコピー又は本物)
    b. 同様の奨学金への応募状況を説明する書類(ANNEX 1)
    c. 無犯罪宣誓(スペイン人)(ANNEX 2)
    d. 無犯罪宣誓(外国人)(ANNEX 3)
    e. 奨学金の振込先銀行口座の情報(ANNEX 4) f. 応募動機を説明する書類
    g. カタルーニャ語地域外で受講している又は受講したカタルーニャ語コースの受講証明。インターネットを介して受講した者でもよい。
    h. 教師又はチューターによる、応募者が受講したコースのレベルの証明。
    フォーマットはオンラインで入手できます。
    http://www.llull.cat/_cat/_convocatories/beques_formularis.shtml

    4. 受講後に必要な書類
    奨学金を支給されて無事にコースを受講し終わったら、Formulari de la memòria de l'activitat realitzada en format Word を提出しなければなりません。これも上のリンクからダウンロードできます。

    5. 選考の際に参考にするポイント
    a) 他の奨学金を受けているかどうか ~1ポイント
    b) 応募者が過去二年間にInstitut Ramon Llullが主催しているコースの授業料免除又は奨学金を受けているかどうか ~1ポイント
    c) Institut Ramon Llullが主催するカタルーニャ語資格を所有しているかどうか ~1ポイント
    d) 志望動機 ~3ポイント
    e) 応募者がカタルーニャ語圏外の大学若しくはセンター、又はインターネットを介して何らかのカタルーニャ語コースを受講していたかどうか ~1ポイント
    f) 応募者が受けていたカタルーニャ語コースのレベル ~3ポイント
    カタルーニャ語学習に対してどこまで本気なのか、というのが選考に大きく関わってくるようです。

    私自身カタルーニャ語は初級と中級の狭間くらいのレベルなので上記のまとめが間違っている可能性もあります。何か疑問点、間違っているという指摘があればコメントをよろしくお願いいたします。

    2010年3月21日日曜日

    カタルーニャ語学習奨学金(去年の経験から)

    締め切りまで後一月を切ってしまいましたが、日本語で情報を出している人は多分いないのではないかと思うので簡単に去年の様子を書きます。次のエントリーで書類等に関して書こうと思います。

    去年、2009年度の奨学金に応募しました。カタルーニャ語は2月頃から大学(ドイツ)のカタルーニャ語コースとカタルーニャ語学習サイトParla.catで学習し始めたばかりで、初歩の初歩という状態でした。ただ、私はスペイン語ができるので全くの初心者というわけではありません。イタリア語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語(もしかしたらルーマニア語も)ができる人はかなり有利だと思われます。だいたい見れば何となくの意味はつかめるでしょう。

    書類
    書類をそろえるのはそんなに難しくはありません。一番の難関はなぜカタルーニャ語を勉強したいのか?を説明する文章でした。これは、スペイン語で最初に書いてから自動翻訳機にかけて、少し手直ししたものをカタルーニャ語話者の友人に見てもらいました。分量はA4一枚分に納めました。動機として、スペインに初めて旅行した際に、バルセロナで大量のアンチスペイン本(もちろんカタルーニャ語で書いてある)を見かけて驚いたこと、カタルーニャが独自の文化と言語を維持しつつ、さらにスペインという国が成立している状況を実際に住んでこの目で見てみたいと考えていることを書きました。多言語多文化について大学院で学びたいという意志も少しあったので(今はありません)それも書いておきました。

    合否の発表
    結果は五月の頭頃に郵送及びメールで届きました。奨学金は、語学コースを申し込んだ段階で半分、語学コースを終えた段階で残りの半分が支払われる仕組みです。 語学コースへの申込書と銀行振り込みの証書の写しを何らかの形で(私はメール添付しました)をしなければなりません。

    学校
    私が行き先として選んだのはL'Escola Oficial d'Idiomes Barcelona Drassanesです。今年もサマーコースが開催される予定で、値段は4週間300,60ユーロと大変お得です。各大学でもサマーコースが開講されていますが、7月というほどよい時期でほどよい期間のものがこれしかありませんでした。時間がある方なら大学を選ぶのもよいと思います。ちなみに、このコースでは出席日数は八割を超えなければなりません。それを下回ると修了証が出ず、修了証がないと残りの奨学金ももらえないようです。

    クラスのメンバー
    カタルーニャ語サマーコースは四レベルに分かれていました。私は下から二番目のコースに振り分けられました。生徒は半分ほどがバルセロナに住んでいるスペイン人でした。話すのはかなり話せるのですが文法と綴りがメチャクチャであるためあのクラスにいたのかもしれません。その他、バルセロナ在住の外国人(アルゼンチン人、プエルトリコ人、フランス人、ポーランド人、コロンビア人、日本人もいました)、私と同じ奨学金でやってきたイギリス人が二人、ポーランド人が一人、エクアドル人が一人。一番若いのはパキスタン人の男の子で16歳でした。全体で30人ほどおり、語学学校としてはかなり人数が多いのが唯一の難点でした。

    授業内容
    授業はカタルーニャ語でのみ行われます。Veus 2という教科書を使っていました。授業は朝九時半から一時半までたっぷりあります。間に三十分ほど休憩がありました。スペイン語話者がほとんどを占めるので非スペイン語話者には結構厳しい状況です。
    授業期間中、カタルーニャ州政府の議会、グエル公園、バルセロナ市庁舎を見学に行くツアーがありました。カタルーニャ人ではない人にカタルーニャのすばらしさを伝えるプロパガンダ的な側面もあるようです。映画鑑賞会、最終日にカタルーニャワインの試飲会もありました。


    学校について
    バルセロナの旧市街Ravalにあります。スリ、街娼などが多いあまり治安がよくない地域ですが、昼の誰もいないような時間に旧市街をうろうろとしなければ何の問題もありません。目抜き通りのランブラスまでは歩いて十分かかりません。地下鉄の駅Drassanesからは二分、Paral.lelからは十分弱かと。
    この語学学校ではカタルーニャ語だけではなく、外国人向けのスペイン語、その他英語などの外国語(日本語もある)も教えています。公立なので値段が安く、先生のレベルが高いので評判がいいようです。
    学校内にはカフェテリア、本屋(小さいですが)もあります。

    大きな地図で見る

    家探し
    学校は家を斡旋してくれないので自分で探さなければなりません。学校に頼むと下宿、寮の一覧表をくれますが結構高いです。バルセロナっ子に聞いたところ、家探しサイトで探すといいとのことで結局Loquo Barcelonaで見つけました。夏の一月であれば、ルームシェアの家が空いていると思うのでそれほど苦労なく見つかるでしょう。家賃は一月で360ユーロ(光熱費込み)でした。場所は地下鉄Alfons Xの近くで、スーパーも近く便利でした。同居人はコロンビア人2人、ルーマニア人1人。このアパートを管理しているコロンビア人に日本人の親友がいるとかで非常によくしてくれました。

    留学後
    この留学で何を学んだか?についての書類を提出しなければなりません。それを出して初めて残りの奨学金の支払い手続きが開始されます。てきぱきした奨学生はバルセロナ滞在中にさっさと提出していました。私は郵送したと思います…

    まとめ
    カタルーニャ語をみっちり学習する機会はなかなかないので、興味がある人はぜひ挑戦してみるといいと思います。カタルーニャ語が置かれている状況は非常に特殊なので、その善し悪しも肌で感じるはずです。私の場合、最初にスペイン文化への興味があって初めてカタルーニャにも興味を抱いた、というのがあるので、カタルーニャ文化の手放しの礼賛、スペインへの敵意には正直辟易することもありました。また、カタルーニャ語を学習する、カタルーニャ語で会話することはすなわちカタルーニャ主義への賛同を意味してしまう場面が多くあります。ただの興味でやってるんだけど…とはなかなか言い出せませんでした。
    バルセロナはスペインの他の地域からの移住者、南米からの移民が多いところなのでカタルーニャ語話者がそれほど多いわけではないようです。店でカタルーニャ語を話すと通じないことも多い。カタルーニャ人はカタルーニャ語への愛情はすさまじいものがありますが、外人がいきなりカタルーニャ語を話すとは信じられないらしくスペイン語で返ってくることもあります。もしカタルーニャ語漬けになりたければ、ジローナなどの地方都市に行った方がいいかもしれません。ジローナ近郊出身の友人によれば、大学進学でバルセロナに出てくるまではほぼカタルーニャ語でのみ生活していたそうです。

    2010年3月6日土曜日

    ドイツ語コースその後

    どんどん人が増えている。一日一人ずつくらいの計算。最大12人なので、際限なく増えることはないのが安心。

    日本語でも人に質問するのが大の苦手なので(意図を伝えるのが難しい)外国語ならなおさら。自分の意図をわかってもらうまである程度は粘ってもいいのだろうけど、「ある程度」というのがわからないので困っている。周りがじりじりしてくるんじゃないかと心配にもなるし。それは、議論をする際にも同じで、自己主張をする、相手を遮っても自分の意見を述べることが悪くないことはわかっても、やり方が分からない。主張しすぎると攻撃的に見えることがあるようだ。その前に主張することも難しいのだけど。

    普段議論が面倒でなあなあに済ませる(日本人的?)傾向があるのだが、そういうことをして意見を組み立てる練習を怠っていると、自分が本当に主張したいことがあるときに意見を組み立てられない。訓練を自主的にした方がいいのかもしれない。

    2010年3月2日火曜日

    フィギュア

    今年はフィギュアでいろいろな意味で盛り上がっているようだけど、スイスにいるために演技を見れなかった。Youtubeにアップされていないし。結果だけ聞いて後その他騒動をネットで目にするくらい。

    キム・ヨナ(一発変換された!)が引退するとのことでえ、ずるい!若すぎる!と思ったけど、前人未踏の偉業を成し遂げたことを考えるとピークにいるうちにやめる、というのも悪くないことかもしれない。ずるい!というのは浅田真央が今回負けて、雪辱なるかと思われた次のオリンピックにはキム・ヨナがもういなくて勝負できない、ということに関してだから、それを考えなければフィギュア界の振興には残念なことだけど致し方ないのかも。

    キム・ヨナについて考えてたところ、折良くキム・ヨナがリンクで熱唱するビデオを見た(IDEA*IDEAの記事から)。



    いくら若くて才能があって結構かわいい国民的スター、とはいえ、日本でアスリートが熱唱したらもうボッコボコにたたかれると思う。むしろ、国民的スターだからと言うか。スターだけど、本来のスケート以外はしない、というのが日本でいいとされる姿なんじゃないかと思う。求道者っぽい感じというか。だから、詳しくはわからないけれど、キム・ヨナがCMにも多数出て、リンク上で歌まで歌ってしまう(しかもかなりうまい)ような行動を取っても熱烈に韓国の人が応援し続けていることに文化の違いを感じた。叩かれたりしていないのかな?あまり、出る杭を打ったりしないのだろうか。

    韓国のことになると、日本の常識に照らして何かと気になることが多くなる気がする。もしこれがロシアで起きていれば、何も気にならなかっただろう。プルシェンコが大統領になったとしても、多分驚かない。中国も、共有する文化はたくさんあるのだろうけどかなり日本とは違う、という意識がある。

    ドイツ語コース

    人とほとんど交流せずに夫と日本語でばかり話していたらドイツ語を忘れてしまった。人恋しくもあるので、ドイツ語コースに行くことにした。今日から四月の半ばまでの予定。

    なぜかスーパーMigrosがやっているMigros Klubschuleという巨大カルチャーセンターのドイツ語コース。レベルはC1で上級の入り口。C1に相当するDSH2を持っているのでその上のレベルC2に行きたかったのだが、人数が足らなくて予定通りに開講しなかったのと、ドイツ語の実用レベルがそんなに高いわけではないしいろいろと文法事項を忘れているのとでC1にした。

    今日初めて行ってみたら生徒は八人。平日の朝から週に三回も語学学校に通えるのは無職の人だけ。フランス人、ウクライナ人、ジャマイカ人(だがイギリスに育ちもう30年スイスにいるとか) 、日本人、スペイン人、ペルー人各一人、イタリア人が二人。このうち二人はスイス人と結婚しているらしい。授業が始まってみると、静けさに驚くばかり。ウクライナ人とペルー人は20代半ばかもう少し若いくらいだけど、その他30~40代とアダルトな空間だからか。それにしても、先生の質問に我先に答える感じもなく、知らないのになぜか答える人、当てられていないのになぜか答える人、自分のすごさをアピールする人、等全くいなくて妙な沈黙が流れる時間もあり拍子抜け。もちろんヨーロピアンはしゃべる訓練をされているのでよく話すけど、出しゃばるという感じではない。ドイツで通っていたコースは資格対策コースで、授業の成績が資格試験の合否に直接響いてくることもあって鬼気迫るものがあったのだが。違いにびっくり。スイスに来るような人はあまりがつがつしてないのだろうか?半分趣味でやってるから、というのが答えかもしれないがあまりにも静か。

    それから、発音が聞き取りにくい人が多くてびっくりした。年齢的なものかもしれない。それか、スイスドイツ語風だからよくわからないのかもしれない…。

    拍子抜けですでに気が抜けているけど、文法事項や単語で答えられないところも多々あったのであと一カ月半がんばろう。ついでに友達もできるといいのだけど。みんなこっちに基盤がある人たちで新たに友達欲しいとか思ってなさそうだから、難しいかなあ。

    2010年3月1日月曜日

    とりあえず毎日

    なんかしら書こうと思っている。

    今日はどこも出なかった。やることがあったためだけど、天気が悪くてどちらにしろ出かけられなかっただろう。風強いね、と話していたら夜のニュースで名前まで付いた強力な低気圧がフランス付近を通過していたことを知った。スイスでも森の中を歩くな、と言われていたらしい。出なくて良かった。

    こちらのテレビを見ていると、ニュースは基本的に標準ドイツ語に近いしゃべりをする。しかしここに例外があり、それはお天気おねえさんとスポーツコーナーの兄さん。本気のスイスドイツ語ではないのだろうけど、私にはかなり理解が難しいレベルである。スイス人の心の安らぎというか、親しみを感じるコーナーはやはりスイスドイツ語じゃなきゃだめなのか。

    チューリッヒの街でスイス人を観察しているけど、どういう見た目の人が典型的スイス人(代々スイスにいるような)なのかわからない。スイスドイツ語だけでは判断できない。移民二世、三世は完璧に言葉をマスターしている。チューリッヒの最初のイメージは、スイス人ブランド好きで派手だな、という感じだったが、派手目の化粧でブランドに身を固めた金髪美女はロシアの金持ちなのかもしれない。スイスドイツ語を話しているが。若いモデル風美女で金髪碧眼の人は別の国からやって来てスイスの金持ち向け学校で教育を受けている人であるような気もする。

    チューリッヒ国際都市なのだがコスモポリタンというよりは単に外人があふれているという感じがする。なんというか外人である自分が無色にはならない感じだな。見た目が貧乏くさいのか怪しい外人扱いされてる気がするし…。

    2010年2月27日土曜日

    勇気を出してカフェに入る

    図書館に今日中に本を返さなければならなかったので、中心部に出た。ひとまず書棚をうろうろして何冊かおもしろそうなのを借りる。ドイツ語だとどれくらいの早さで読めるかも未知数なのに借りるときにはうきうきするんだよね。

    図書館が四時に閉まってしまったため街をうろうろ。せっかくだから一人でカフェでもしてから帰ろうと思っていたところ、よさげな店を発見した。中には完全スイス人の白人しかおらず、侵入者気分で店内へ。小さい店で満員。テーブルが空くか空かないかのうちに次の客が入ってくる人気ぶり。客はコーヒーやらチョコレートドリンクやらを一杯頼んで長居しているらしい。余談だが、海外のカフェが日本のカフェ(およびレストラン一般だが)と違っていいところは、水を取り替えに店員が三十分おきに来て暗黙のうちに催促しないところだと思う。客は一人で来ている人はあまりいないようだが、夫婦やカップルで来ていてもそれぞれ手にした新聞や雑誌に目を落として黙々と読んでいる。それか友達同士が比較的穏やかに話し込んでいる。年齢は二十代後半から五十代といった感じ。音楽がかかっていないので本や会話に集中できる。

    カフェ・クレム(薄めのコーヒー?)を頼んだがコーヒーの味はいまいちだった。4.5フラン。でも快適でくつろげるのでまた来たいと思う場所だった。 今度はチョコレートドリンクかケーキを食べてみたい。朝食もやってるらしい。大15フラン、小10フランで、わりと良心的。

    住所はWeggen-Gasse 4。その名もWeggen Cafe。番地はわからないが、短い通りにカフェは一つしかないのですぐにわかるはず。


    大きな地図で見る

    土曜日は夕方五時まで、平日はもう少し遅くまでやっているはず。日曜はたぶん休み(未確認)

    春一番

    スイスにそういう用語はないと思うけど、今日は春一番かと思うような強風でした。けっこう寒かった。

    ふだん料理であまり失敗しないのに今日は塩加減を誤って妙に味の薄い味噌汁と卵焼きになってしまった。日本食は慣れていないし、塩加減などがよくわからない(いつも目分量だから)ためかと。それに日本食は夫との味覚の違いが際立ってくるからなかなかお互いが満足のいく味付けってもしかしたら難しいのかもしれない。

    卵焼きは塩のみの味付けに慣れているけど、中学校の時に友達に「この味付けは珍しい!」とびっくりされたので少数派なのかもしれない。今日はそれにしても味が薄すぎた…。

    2010年2月26日金曜日

    久々に

    普通の日記でも。って毎日Twitterでごちゃごちゃ書いているから書くことがない。

    スイスに約二週間ぶりに帰ってくると、その秩序正しさに驚かされる。スペインから日本に帰った時に何でこんなに細かいの頭がおかしくなる!ちょっとくらいいい加減なほうがいい、と思ったように思うけど、今回はただただほっとした。鞄を必死に押さえて歩かなくてもいい。鞄の口がちょっとくらい開いてたって、鞄から数分間目を離したって大丈夫。 街にある時計はきちんと動いている。電車だって数分おきに来るし、電光掲示板の表示は信用できる。外人だけど釣銭をごまかされたりもしない(むしろ、こっちが何かをしでかす不良外人に見られている節あり)。ゴミも落ちていない。全てが予定通りに動き、犯罪に巻き込まれることもまずないという安心感は得難いものがあると感じた。スイスは外人にけっして甘い国ではないし閉鎖的だと思うけど、東欧、イタリアその他の国から来た人々はこの安心感からはもう離れられないのかも。

    2010年2月10日水曜日

    ブダペスト→サラエボ移動、サラエボ泊

    2010年2月8日月曜日

    旅行

    チューリッヒ→リヒテンシュタイン→ブダペスト(夜行)

    2010年2月7日日曜日

    旅程

    2/9 列車とバスでリヒテンシュタインまで移動、リヒテンシュタイン観光。夜スイスのBuchsに戻り、そこからブダペスト行の夜行列車に乗る。
    2/10 ブダペスト泊。
    2/11 列車でサラエボに移動。サラエボ泊。
    2/12 サラエボ泊。
    2/13 サラエボ泊。
    2/14 バスでモスタルに移動。モスタル泊。
    2/15 バスでスプリットに移動。スプリット泊。
    2/16 夜行の船でアンコーナへ。
    2/17 朝、アンコーナ着。列車でローマに移動。ローマ泊。
    2/18 ローマ泊。
    2/19 ローマ泊。
    2/20 夜行列車でミラノに移動。
    2/21 ミラノ観光、列車でチューリッヒに帰着。

    旅の参考図書:ガイドブック、情報誌篇

    参考として、今回の旅行で参照したガイドブック、情報誌を挙げておきます。

    Lonely Planet Western Balkans
    言わずとしれたロンリープラネット。チューリッヒの英語本屋で購入。ボスニア・ヘルツェゴビナが載っているガイドブックはほとんどない中、西バルカン(スロヴェニアを除く旧ユーゴ諸国およびアルバニア)をカバーしている。西バルカン諸国の大まかな通史、文化、注意事項、食べ物などに加え、参考文献や映画の欄も充実している。西バルカンは背景知識があることが重要なのではないかと思うのでこれはうれしい。
    ロンプラのいいところは、宿情報が信頼できること。前回のスペインでも宿はかなりよかった。決して激安宿は載っていないのでとにかく安く挙げたい人には不満かもしれない。しかし基本的に英語が通じるところ、外人に慣れてそうなところ、中心部にアクセスがよいところが選択されているので宿探しのロスもないし失敗がなくて最終的にはストレスが少ないように思う。特に今回は、現地の言葉が一切わからなかったのでロンプラの宿は英語が通じて助かった。

    旅の指さし会話帳 (73) クロアチア
    これも上述の友達が送ってくれた。今は呼称が違うとはいえ、ボスニア 語とクロアチア語は方言程度の違いしかないため、ボスニア・ヘルツェゴビナ(及びセルビア)でもこの本が使えるとamazonのレビューにあった。ボスニア・ヘルツェゴビナにいた間はカバーを掛けていた。 あまりにもデザインがクロアチアクロアチアしすぎているので。意外にも英語かドイツ語が通じたのでこれに頼らないとコミュニケーションが成立しないという ことはなかったが、持っていると安心感が全然違う。一人旅で現地の人とふれあう機会が多かったり、英語が全然できなかったりしたらすごく便利だと思う。
    一 泊だけだけどスプリットではなかなかおもしろく読めた。メニューのページの充実ぶりはすごい。やはりこの本はクロアチアでこそ生きるのかもしれない。クロアチアに長期滞在するのだったら、ガイドブックの役も果たすし表紙がクロアチアデザインだから話しかけてくる人もいそうだし、楽しめるかも。
    著者のクロアチア狂ぶりがすごく、中国人とからかわれたら「なんだこのアルバニア人!」と返すエピソードが披露されておりけっこうぎょっとした。身も心もクロアチ ア人になっているのだと思う。

    Bosnia-Herzegowina entdecken
    ドイツ語で唯一らしいボスニア・ヘルツェゴビナのガイドブック。全体の五分の二が地理、歴史、文化などの説明 に割かれている。サラエボとモスタルのみコピーして持って行ったが読み切れず。一冊まるごとボスニア・ヘルツェゴビナなので他の本よりは詳しいはず。

    A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010
    旅の直前に友達が送ってくれた。なんと中欧全域+東欧まで丸ごとカバー!これ一冊でブルガリア、アルバニア、ルーマニアまでもくまなく回れる(ギリシャはなぜか別。あそこは西欧なのか?)。歴史、文化などのおもしろ読み物の情報量ではロンプラに劣るが、写真が多くてどこを観光するか計画を練るときに便利。日本語なので理解も早い。そして何よりも、食べ物の情報が充実。写真付きで各国の名物料理、デザートを掲載している。食べ物の写真まで載せてくれることはロンプラでは絶対にないだろう。

    In Your Pocket Sarajevo, Split
    どち らもPDF版を無料でダウンロードできる。地図が間違っていたりとあまり便利ではないが、現地の人が作っているようなのでロンリープラネットと少し視点が違い楽しめる。食べ物、魚市場の情報も充実している。私も典型的な日本人だな。

    旅行人161号旧ユーゴを歩く~クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネ グロ、コソヴォ
    観光ガイドではないので宿、レストラン等の情報はない。旧ユーゴ各地に関する短い旅 行記がいくつか集められている。写真が多いので眺めるのによい。旧ユーゴと関係のない、ハルツームやスリランカの旅行記、トルコに関する話が興味深い。

    Lonely Planet Italy
    たぶんもう5年くらい前の版。イタリアでは主にローマしか観光しなかったため、情報が少ないように感じた。交通機関の情報があまりないのがロンプラの痛いところだと思う。現地のインフォで情報を集めろってことか。ローマ観光だけなら一冊ローマという本を買うべきだった。ローマは友人夫妻の家に泊まったので宿情報は特になし。ミラノで参考にしたピザ屋は結構おいしかった。

    The Rough Guide to Switzerland (Rough Guide Switzerland)
    リヒテンシュタインを半日観光したためそのページだけコピーして持って行った。はっきり言ってガイドブックも不要なほど見るところがない。