2009年7月25日土曜日

Ventura Pons, Foràsters

Foràsters

授業の一環で映画を見た。カタルーニャ語ができないからちゃんとした評価を下すべきじゃないのかもしれないがおもしろくなかった。
まず、物語のキーとなる「よそ者」があまりにもステレオタイプ過ぎる(アラブ関係の人は普段生演奏してずっと歌ってたりしないのではないか。アンダルシア人もセビジャーナスを普段から踊るのか?南米の人が家族大事なのはそうかもと思うけど、それをドミニカ人に直接言葉で語らせるのもちょっと)。あと、21世紀のパートが弱いんじゃないかなあと思った。20世紀のパートは人間関係の濃密さと絶望的な家庭の状況がスリリングでよかったが、21世紀はお互いの関係もなんだかよくわからず。それこそが問題だという話なのかもしれん。最後に、カタルーニャ語で全編通すというのは無理がある気がした。フランコが死んだ直後(と思われる)のスペインで、カタルーニャに移住してきたアンダルシアの家族がカタルーニャ語をしゃべれるのか?フランコ政権下でも、カタルーニャに来たやつはカタルーニャ語をしゃべれという暗黙のプレッシャーがあったのかもしれないが、学校で習えないのだったら子供たちは流暢には話せないのでは…。現在でも、ドミニカ人の家政婦とおじいさんもスペイン語でしゃべるんじゃないかなあ。その辺は月曜日に質問してみるべきかも。



追記(8/1)
質問した。ちなみに、フランコ死去どころか、フランコが生きている時代の話であるようだった。当然公教育ではカタルーニャ語は使われていなかったらしい。先生自身はその日映画を見ることができなかったためはっきりした回答は得られなかった。他の受講生にも大変評判が悪い映画だったそうである。話が重いというのと、異邦人の描き方等があまりにステレオタイプであるという意見を聞いた。
Ventura Ponsはカタルーニャ映画界を代表する監督らしい。テレビ番組、演劇などは良質のものが作られているのに、映画はいまいちとのこと。カタルーニャ語コースで映画鑑賞会でカタルーニャ映画を見るといつも評判が悪いので、今後は打ち切りになるかもしれないという話だった。カタルーニャ語映画を見ようとするとVentura Ponsくらいしかいない。その層の薄さがよくないのだろうか。最近流行りのイサベル・コイシェもカタルーニャの人だが、英語の映画を作っているし、セスク・ガイもスペイン語で映画を撮っている。吹き替えはカタルーニャ語でもたくさんあるようなのだが。

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