No pasa nada porque haya una canción en catalán.
「カタルーニャ語の歌など存在していないのだから、何の問題もない」(意訳)という意味だと思うのですが、接続法の問題としてちょっと興味深いのでメモ。no porque + 接続法ってのは、大学でもやったんだけど、こっちは授業では習っていないと思う。文法的な説明があったら補足するつもり。
補足1。
Al Ventとは、Raimonによって歌われたカタルーニャ語によるポップソングで、70年代の反フランコ体制の象徴として、またカタルーニャ文化の独立のキャッチフレーズとしての役割を担った。いっしょにこの歌(ガリシア人の歌手が歌った)を聞いたカタルーニャっ子は「泣きそうになった!」と言っていた。今もなお愛されている歌らしい。
反フランコ体制の象徴って、スペインの他の地域でもそうだったのかね?例えばバジャドリードとか?バジャドリードは今でもFachadolid(facha=falangista)と言われるほどの保守的な地域でカタルーニャ語の歌にシンパシーを感じるとは思えない。他の地域でもカタルーニャへのまなざしはけっこう冷たいと思う。
補足2。
文法的な問題について。
J.Borrego, J.G.Asencio, E.Prieto, El subjuntivo: valores y usos(SGEL)の147ページから149ページに解説がありました。147ページのReglaを引用:
Lo más normal es que se construyan con indicativo. No obstante, las introducidas por el nexo PORQUE se construyen con subjuntivo cuando se pone en duda o se niega la validez de la causa.
通常、原因を表す文には直説法が用いられます。しかし、原因の有効性を疑う場合、または否定する場合には、PORQUEによって導かれる原因を表す文に接続法が用いられます。
例えば、例文を引きます。例文の番号は振り直しました。
(1) No juego con vosotros porque estoy aburrido.
(2) No juego con vosotros porque esté aburrido.
(3) Juego con vosotros (pero) no porque esté aburrido.
(1)はもちろん、「退屈だから僕は君たちとは遊ばない」。(2)になると、「退屈だから僕は君たちと遊ぶのではない」という意味になる。つまり、意味的には(3)と言い換えることができる。「僕は君たちと遊ぶが、それは退屈しているからではない」。
あ、しかし、これだとNo pasa nada porque haya una cancion en catalanが「問題はあるが、それはカタルーニャ語の歌が存在しているからではない」ということになってしまうのか?今度カタラナたちに聞いてみようかな…。
2 件のコメント:
「カタランの歌があるから何も起こらないというわけではない」という意味も文脈を無視すれば成り立ちそうですが・・・。
コメントありがとう。新たに文法書を紐解いたのですが、しかしよく分からないのです。文法は陽さんの専門分野だし、何かわかったらアドバイスをください…調べるほど混乱してきました。
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