2010年7月22日木曜日

Schweizerisches Landesmuseum

チューリッヒでの日々も終わりに近づいているので、慌てていろいろと巡ろうとしている。今日はSchweizerisches Landesmuseum(スイス国立博物館)に行ってきた。木曜日なので夜の七時まで開いている(それ以外の日は午後五時まで)。

特別展のZauber Berge. Die Schweiz als Kraftraum und Sanatorium(魔の山:ジムとサナトリウムとしてのスイス)目当てで行ったが、せっかくなのでざっくり全部見てきた。

とりあえずよく知らないスイスの歴史を眺めようと、チケットを買った後すぐに二階に上がってスイスの歴史コーナーを見る。歴史順に並んでいるわけではなく、4つのテーマに沿って展示が分かれていた。1つめは、スイスは常にスイス人が住み続けていたわけではない、と絶え間ない移住者についての解説。ホモ・サピエンスから最近の移民まで。19世紀までは移民の送り出し国だったが、その後のイタリア移民をはじめ、第二次大戦後からは旧ユーゴ、トルコ、イタリア、ポルトガル、スペイン等から大量に移民がやってきた。戦後には移民受け入れ反対の住民投票(スイスは直接民主制)も行われたが全て否決された。

2つめのコーナーは宗教について。宗教改革の有名人カルヴァンとツヴィングリはどちらもスイス人なので、宗教改革が展示の中心になっている。カトリックとプロテスタントの教会の内装がどのように異なるか、写真を並べて提示していたのが面白かった。

3つめはスイス連邦の歴史。スイスの歴史がさっぱり分からないので解説を読む気にもならず飛ばしてしまった。女性の権利の展示が一角にあったのだが、妙に新しく見えたので今調べたらスイスは1971年になるまで女性に選挙権がなく、連邦の憲法で男女同権が保証されたのは1981年のことらしい(政治-スイスの情報)。女性に選挙権を与えるか否か、の住民投票のポスターが強烈だった。賛成側は、「女性が選挙権を得るためには、男性の貴方が必要なのです」と花束と、それを持つ男性の手が描かれて優しさを強調しているのに対し、反対側は赤ちゃんのおしゃぶりにハエが止まっている絵が描かれていた。女性の本分をないがしろにすると子供が犠牲になる、ということなのか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターもそうだけど、既成の価値観を守ろうとする側のポスターの表現の方が強烈だ。


4つめは、外国でお金を儲けたスイス人について。古くは貧しさからヨーロッパ各地で傭兵として働き、中には一儲けして帰ってきて豪邸を建てた人もいたらしい。植民地主義の時代に入ってからは、植民地に絡む貿易(奴隷貿易とか)に従事した大商人も生まれた。最後は現在のスイスの象徴、銀行業で締める。

ここまででかなりのボリュームでふらふらになった。続いてスイスの家具という特別展のフロアに入ったがもう見る気にならない。入場券を常設展と特別展で分けてほしい。全て込みで10フランは展示の量を考えれば納得だが1日で見るのは体力が要る。一回出ても券の購入時にもらうシールさえ付けていれば何度でも再入場可能なので外に出て休んでは入館、とすればいいのかもしれないけど…。

別の特別展、ナイフの展示も素通りし、恐らく常設と思われる美術展示も素通り。この美術展示はかなりの量があるのだがぎゅうぎゅうに所狭しと展示してあって、どれが大事なのかよく分からないくらい。キリスト教美術が充実しているようだった。

今日のお目当ての「魔の山」展示を見る前にカフェテリアでコーヒーを飲む。紙コップに入ったカプチーノ4フラン。

「魔の山」の展示はかなりおもしろかった。大体3つに分かれており、1つめはスイスの4大健康スポットの解説。2つめは、20世紀初頭から大戦直後くらいまで、健康志向の人々を引きつけた(もちろんスイスが売り出した要素でもある)スイスの4つの要素、水、高地、ハーブ、光について。3つめは、トレーニングとスイス発健康食品。

スイスの4大健康スポットは、アスコーナにあるモンテベリタ、チューリッヒベルクのクリニック(ミュースリー産みの親がやっていた)、サンモリッツのサナトリウム、 どこか忘れたのだがアルプスの中にある、皮膚結核専門の療養所の4つ。モンテベリタは自然に帰ることが人間のためになるという思想を持った人々のコロニーだった。動物性食品は一切取らず、人によっては喉の渇きも果物で癒すという徹底ぶり。日光が重要な要素で、太陽の光を浴びる全裸の若者の後ろ姿を描いた絵もある。何と神殿まであったらしい。
かなり興味深いので自分用のメモをかねて関連リンクを貼っておきます。
    バクーニンやヘッセも来ていたらしい。

    スイスと言えばハイジ、というくらいおなじみだけど、ハイジの物語も都会を離れ、肉食を離れ、高地で清浄な生活をするのが理想的というイデオロギーに沿っているという。ハイジはフランクフルトという大都会に行って病気になってしまい、その病気は山に戻るまで治ることはない。足の悪いクララは山に来たら何と歩けるようになってしまう。

    ヨーロッパ人が太陽の光が好きすぎて辟易することがあるが、こういう考え方が染みついてるのだとしたら納得する。また、この間ツェルマットに行って3000メートルを超えるところまで楽々電車で行くことができ、山頂の豪華な設備で快適に過ごせることに驚いたのだけど、こんな設備が100年前にできたのはこういう高地と光への信仰があったからでもあるのだろう。

    山岳リゾートとか銀行業とか、他に類を見ないお金儲けのアイディアがスイスにはあって、そのオリジナリティにはびっくりする。人々は日本人みたいにシャイで、どちらかというと横並び好きに見えるのだけど。

    スイス健康産業華やかなりし頃の写真を3Dで見る映写室のようなものがあって、それもおもしろかった。ヌーディストの写真がたくさんあってどぎまぎした。

    3時半前に入館して、見終わるのに7時少し前までかかった。全部じっくり見ようと思ったら1日では足らないと思う。今は改装工事中なので、もしかすると改装が終わったらもっと展示物が増えてしまうのかもしれない。

    今回はモンテベリタ情報を得ることができたのが収穫。Museum für Gestaltungでスイスの観光イメージ戦略についての展示をしているので、そちらを今週中に見に行ってスイスの知識をもうちょっと深めてくる予定。

    2010年7月21日水曜日

    湖水浴

    暑くて仕方がないので近所のプールに行ってきた。プールと言っても、チューリッヒ湖の一角を囲い、岸辺に芝生があり、着替えるところ、シャワー、ロッカーなどを備えた建物が併設されているもので普通のプールではない。

    日も陰り、雨の降りそうな時間帯に行ったため水が冷たかった。普段長距離を泳ぐのには慣れているので大丈夫だと思っていたが、足が着かない自然の湖で、風が強いのか近くをクルーザーでも徹ったのか波が高く、顔に水がかかった。動揺して水を飲んでしまったり呼吸が乱れたりして、おぼれるかと思った。あまりにぐったりしたので30分未満ですごすごと帰る。そんな姿を見かねたのか、受付の人が次回使える二人分の券をくれた。

    岸辺の芝生で1日ごろっとして本を読んだり、 気が向いたら泳いだり、なんてお茶目すぎる。やっぱりチューリッヒはいい街だなあ。

    岸辺でそのまま隠しもせず着替える人が数人いたがあれは普通なのだろうか。あんなに堂々としていたら、そういうものと思わざるを得ない。

    ティチーノ旅行:データ

    1日目

    ストラーダ・アルタ
    レストラン、民宿などはアイローロ、アルタンカ、ルレンゴ、フレッジオ、オスコにはあるが他の村にはなかった。休憩所は整備されていないので店に入って休んだ方がいいかもしれない。日差しを避ける場所があまりない。
    Strada Alta情報ページ(独)

    Agriturismo Da Paolin
    素朴な民宿。庭先にテラスがある。コーヒーはチューリッヒで飲むよりも値段が安かったと思う。

    Ristorante Corona
    店員が親切であった。食べたものと値段。
    ティチーノ・メルロー 6.60フラン
    プッタネスカピザ 16.00フラン
    プロシュートとメロン 21.00フラン
    ミネラルウォーター1リットル瓶 7フラン
    計50.60フラン

    ベリンツォーナのユースホステル
    駅から歩いて約10分。朝食込みということを除いてはあまりおすすめできない宿。モンテベッロ城は近い。値段は、2人部屋の場合1人45.55フラン+税金0.45フラン。

    Postauto
    ボスコからファイド駅まで利用。時刻表をダウンロードできる。


    2日目
    多くの喫茶店、レストランが日曜日は閉まるので要注意。

    ベリンツォーナ
    Museo archeologico e civico
    よっぽど考古学に詳しい人ならおもしろいのかもしれない。本文中に書いた通り、解説がほとんどないので何がなにやら。

    ロカルノ
    Museo archeologico
    ガラス細工がおもしろい。

    Hotel Ristorante Dell'Angelo
    カフェとワインで休憩した。店員がぶっきらぼうだが親切だった。