2011年7月20日水曜日

未確認生物学

今、Museum of the History of ScienceでEccentricityという特別展を開催中。今日はその関連で、雪男研究者についてのレクチャーがあるということで聞きに行ってきた。

発表者はアメリカのBrian Regalという研究者でいかにもアメリカンという声の張りと身振りの激しさとアメリカンジョークで圧倒された。アメリカンジョークは意外とイギリス人にもうけてたみたい(それか、笑うのが礼儀だと思って笑ってたのか?)。大学のオフィシャルによれば、ダーウィンについての本を書いたり(Creationalistが剽窃したらしい)、テレビに出たり、雑誌に投稿したりとかなり目立った活動している人のようだ。元々進化論を研究しているらしい。さらにCVによれば、大学に入る前は軍隊に8年くらいいたみたい。アメリカでも珍しい経歴だろうか?

テーマはCryptozoology。この単語知らなかったがWikipediaによれば「未確認生物学」のことで、ネッシーとか雪男とか、存在がかなり怪しい未確認生物の研究を指すらしい。Ulisses Aldrovandiから始まってざっと有名な学者の話のあと、チベットで発見されたというイエティの解説があり、本題のGrover Krantzの話をじっくりと約40分ほど。ちなみにUlisses Aldrovandiの仕事は以下のビデオにまとめられているようなものらしい。





Grover Krantz(クランツだと思うけど英語読みはクランズなのかな?)はアメリカの学者で、ずっとビッグフット(サスカッチ)を追っていた。これだけ聞くと怪しいようだがバークレイで学びアカデミックな背景はきちんと持っている。クランツに限らず、ビッグフットの研究者はアマチュアだけではなく大学教育を受けた学者も数多いらしい。クランツはテーマが変わっていたというだけではなくかなりの奇人でもあった。犬が生涯の友で、愛犬が死んだ時には剥製にしようとしたができず、骨格標本を残そうとしたものの愛する友人を切り裂くことが出来ずナイフを手に震えていた。結局犬の死体を地面に埋めて、一年後の真夜中骨だけを掘り出して骨格を残した。亡くなる前にスミソニアン博物館に研究ノートなどを寄贈することにしたが、寄贈の条件は自分の骨格標本と犬の骨格も引き取ること。スミソニアンは引き受け、今は骨を見ることが出来るとか。また、ビッグフットが有名になり、子供からもファンレターがたくさん届いたという。そのファンレターもパワポで見せていた。

レクチャーはわりとクランツのおもしろエピソードを取り出してちょこちょこ解説、という感じだったがあとの質問がかなり盛り上がり、違う方向性の話を聞けた。ビッグフットはアメリカ先住民の間では「毛深いヒト」として認識されていたのが、白人が「類人猿に似たもの」と言い出してから猿として認識するようになったとか、ロシアにもビッグフットを信じている科学者のグループがあるが、彼らはビッグフットを現生人類とは違うヒトの生き残りであると考えているとか。ロシア(といってたけど多分ソ連のことだろう)はイエティ調査を実施しており、それはチベット、中央アジア、ヒマラヤ辺りの紛争地域でイギリスやアメリカがイエティ調査を隠れ蓑に怪しい行動をしているのではないかという警戒のためもあったと。実際、イエティを追っていた学者はアメリカやイギリスの諜報機関と何らかの関わりがあった。あとテネシーでは家にビッグフットが出入りして交流を深め、英語とビッグフット語を互いに教え合っているという話があるらしいがこれの9に書いてあることかな。ロシアにそれを研究しようとしてる人がいるみたい。

最近本を出したばかりだそうで宣伝していた。読みたいけど買うにはけっこうな値段。

2011年7月19日火曜日

Oxford観光情報

有名観光地に住んでいるためお客さんが多く来る。せっかくなので見たところなどをメモしておきたい。特に地元イギリス人と交流があるわけではないので、「地元民だけが知る店」などはわからないが何かの参考になれば。

昨日は観光名所を色々まわった。はずせないのでクライスト・チャーチに行ったが、驚くほど混んでいた。今は観光シーズンな上、夏休みを利用して各国から語学留学の若者が集まってきているかららしい。昨日は日曜日だったからよけいに多かったのだろう。私はハリー・ポッターシリーズを読んでもいないし映画も一本も見ていないのでよくわからないが、クライスト・チャーチの食堂が使われているようだ。

ここからは文句。カレッジの入り口には本日公開されている施設が一覧になっており、昨日はホール(食堂)は公開していないがカテドラルは公開していることになっていた。ところが、中に入ってみると逆であた。ホールは狭いため同時にたくさんの人が入れないためか、まるでディズニーランドのアトラクションのように人が並んでいた。ホールには入れないとなると、他に見るものはカテドラルなのだがそれは開いていない。結局何も見ずに出てきた。クライスト・チャーチは大人一人8ポンド(夏期)なのであまりにもぼったくっているように感じた。とはいえ、一番の目玉カレッジだからカレッジ一つ選ぶとすればここになるのかなあ。ちなみに12月に行ったときは誰もいなかった。

公開しているカレッジで他に昨日行ったのはモードリン・カレッジとニュー・カレッジ。モードリン・カレッジは白い紫陽花と石壁のコントラストが美しかった。広大な庭には鹿もいるし、川沿いの道を散策するのも気分がいい。中にはカフェもあり、川を見ながらお茶できるらしい。ここはガーゴイルでも有名で、妙な顔のやつがいっぱいいる。

ニュー・カレッジは外界から隔絶されたような空間だった。全く21世紀にいる気がしない。ビルも見えないし、電線もない。かつての城壁に囲まれた庭を壁に沿って歩いていても車の音もしない。美しい庭にはいろいろな花が咲き乱れている。こんなとこで勉強していたらかなりの特権気分が味わえるだろうし、ここで過ごす3年だか4年だかの大学生活は一生忘れられないものになるだろうと思った。

ボードリアン図書館のツアーにも参加したのだった。今までミニツアー(30分)には二回参加しているがスタンダード(1時間)は初めて。過去二回はフィンランド人の学生だったが今回はイギリス人のポッシュおばさんだった。もし時間があるならスタンダードの方がいい。特に本好き・図書館好きの人はスタンダードの方がいいと思う。見られる場所も多いし、各場所での説明もミニツアーより詳しい。人数制限がある上当日チケットを買うしかないので、観光シーズンには11時すぎに窓口に走ったほうがいいかも知れない。

昼食はTurf Tavernでサンデイ・ローストを初めて食べた。肉も柔らかく付け合わせの野菜もおいしくて満足。私にはちょうど良かったが、男性には少ないかも。肉の量が少ないしイギリス人にとっては軽い食事なのかも。

お茶はThe Grand Cafeで。日曜は7時までみたいで最後の方は音楽が止まってた。いい店だけどちょっと狭いかな。あと店員がもっと優雅な感じだったらいいのにとちょっと思う…。普通の喫茶店のように気さくだ。ケーキがおいしそうだった(食べてない)。いちおうイングランドで一番古いコーヒーショップらしいけど本当なんだろうか。

晩ご飯はカウリー・ロードの蘭桂坊で食べた。日本のお店のようなPOPが店中にあり、お皿も日本の居酒屋のようなお皿だし、壁の半分が皮だか合成皮革だかのクッションみたいになっているところとか、キティちゃんの風船がなぜかあるところとか、店の中に本棚があって雑誌が読める所とか、日本のお店のようで落ち着けた。傘を預かってくれてあとで出してくれるという心配りもあった。カクテルも各種揃い、食事のあとも飲みつづけることができるしまさに居酒屋のよう。おいしかったが一品8ポンドくらいして中華料理としては高い方ではないかと思う。

写真がなくてつまらないエントリーになってしまった。でも写真を撮るのが嫌いなので今後もこうなってしまうかも。カメラを構えることによってそのときの気分が中断されてしまうのが嫌だ。写真を見ることは好きなので自分で撮った写真がないのはあとあと残念ではあるんだけども。

2011年6月12日日曜日

La mala educación (バッド・エデュケーション)

もうずいぶん前(公開当時)に見て以来の鑑賞。年代と場所を把握したくて見たのだが、全くあらすじを覚えていなかった。覚えていたのは、少年時代の顛末だけだ。
以下映画のストーリーに触れます。この映画はあらすじを知ってしまうとおもしろくないと思うので注意。これってレオノール・ワトリングがちらっと出てたんだねえ。全然気づかなかった。IMDb見て初めて知ったよ。
IMDb: Bad Education















年代はDVDに入っていたエクストラのアルモドバル本人による説明を参考にしました。

現実部分
1980年、マドリード。映画監督エンリケのもとに初恋の相手イグナシオと名乗る青年が突然訪ねてくる。が、どうしてもエンリケは彼がイグナシオであるように思えない。しかも、イグナシオは「今は母親ですら芸名のアンヘルと呼ぶのだから、ぼくのことはアンヘルと呼んでくれ」と執拗に頼む。イグナシオ改めアンヘルは二人の少年時代の思い出に基づいた小説を手にしていた。これをエンリケが映画化し、アンヘルが出演するというのがアンヘルの希望だった。エンリケは小説に魅了され、映画を撮ろうと決意。アンヘルをエンリケ役にしようと考えるのだがアンヘルは何としてでもサラ役がやりたいと食い下がり、交渉は決裂する。アンヘルが忘れたライターにはガリシアの村Ortigeiraの名前があった。そこはイグナシオの故郷でもある。エンリケはライターに書いてあった店を訪ね、アンヘルのことを聞き、その後イグナシオの実家を訪ねる。イグナシオは三年前にすでに死んでいた。イグナシオの写真の横にはアンヘルの写真が飾ってあった。彼はイグナシオの弟だったのだ。本名はフアン。
エンリケはアンヘルの素性を知っていることを隠すことにした。希望通りアンヘルにサラの役を与える。その「試験」は肉体関係を結ぶことであり、その関係は数ヶ月続いた。
撮影は順調に進み、最後の日を迎える。その日、撮影場所に見慣れない男が現れた。彼は、駿府であることをやめたマノロ神父だった。マノロ神父改めマヌエルはうらぶれた風貌で咳をしながら、フアン、イグナシオとの顛末、実際に起きたことについて全てを語った。
全てを知ったエンリケはアンヘルを拒絶する。元神父はここ何年もアンヘルを探し続けていたのをようやく見つけたのだが、アンヘルに拒絶される。家までエンリケを訪ねたアンヘルはすぐに追い返されるが、最後にイグナシオが死の直前に書いたエンリケへの書きかけの手紙を渡される。
その後の三人の人生が文字で説明される。アンヘルは俳優として成功し、衣装係の女性と結婚。マヌエルはアンヘルを脅迫し続け、ついにはアンヘルが運転する車にひき殺される。エンリケは映画を撮り続ける。

マノロ神父の回想(1977年)
神父をやめ、バレンシアで出版社を営むマノロ神父改めマヌエルにある日電話がかかってくる。イグナシオだった。少年時代にマヌエルから受けた性暴力を記した小説を書いたという。これを公にされたくなければ、性転換にかかる費用を出せ、とイグナシオはマヌエルを脅した。イグナシオの元を訪ねるマヌエル。イグナシオは薬物におぼれていた。現在のイグナシオの姿に失望したマヌエルは、イグナシオと同居していた弟のフアンの姿に目を留める。彼はフアンに夢中になった。金を渡しにイグナシオの元を訪れても、フアンの姿を目で追ってしまう。ある日、イグナシオは旅行に出かけた。その隙を見て、マヌエルはフアンと関係を持つことに成功する。二人の関係は帰ってきたイグナシオに見つかり、マヌエルはこれも脅迫の材料に加えると脅される。フアンとマヌエルの二人はイグナシオを殺すことを決意する。イグナシオはマヌエルが用意したヘロインが原因で死亡。その夜を最後に、フアンとマヌエルが会うことはなかった。

劇中映画部分(La visita)
1964年(サラ・モンティエル主演映画Esa mujerを見ていることを考えると劇中の設定は1969年かもしれない)、エンリケとイグナシオは寄宿学校にいた。マノロ神父はイグナシオに惚れ込み、野外学習中にいたずらをするが拒否される。エンリケとイグナシオは好意を抱きあう仲となり、二人で出かけた映画館で手淫を覚える。その夜、眠れない二人がトイレで話しているところをマノロ神父に見つかり、激高したマノロ神父はエンリケの放校をちらつかせる。エンリケのためにイグナシオはマノロ神父に体を売るが、結局マノロ神父は裏切りエンリケは退学になる。イグナシオは復讐を誓う。
1977年。ドラッグクイーンとなったイグナシオ改めサラは今はうらぶれた劇場となった思い出の映画館でショーに出演した。舞台近くにいた男とショーのあと行為に及ぶが、なんと男は最中に寝てしまう。怒ったサラは男の財布から現金を抜き取ろうとするが、そこには恋しいエンリケの名前があった。手紙を残し、サラは男の元を去る。
サラは、イグナシオの姉と名乗り、母校にマノロ神父を訪ねる。マノロ神父はイグナシオのことを覚えていないと主張するがいまも忘れてはいない。サラは少年時代のイグナシオに何をしたかを書き記した小説を公表すると脅し、現金を要求する。言い争う二人の元に副校長のホセ神父が現れサラを縛り上げる。ホセ神父の口からサラこそがイグナシオだと知ったマノロ神父は言葉を失い、何か言おうとするがホセ神父がその場でサラを殺してしまう。二人は殺人を内密にすることを決意する。