2015年1月1日木曜日

英語とたたかう記録

私は語学屋で、さらに趣味が語学の勉強でもあったりするので二つ目の大学でスペイン語を勉強し始めてから8年くらい語学学習ばかりしてたりするのですが、英語は本当に難関で困り果てています。最近はちょっとマシになったけどまだ辛いことも多いです。いろいろ辛いので愚痴りつつ何かいい教材なんかがあったら書くっていう「英語とたたかう記録」カテゴリを作ることにしました。

英語学習ブログは世の中にたっぷりあって、ちょっと知らない口語表現をググるだけで「今日から使える英語表現」とかのブログエントリで勉強できたりします。このブログはそういう役には立たないだろうし、書いてる本人のバックグラウンドがちょっと変わってるのであまり参考にもならないかもしれないけど、一緒に愚痴れたりすればいいかなというくらいの気分で書きます。

カテゴリはこちら。あと語学関係の自己紹介(年表)はこちらにあるのでどうぞ。

追記(2012年4月6日):結局全然書かぬまま、語学関係の日記兼メモ帳兼ブックマークはTumblrに移しました。a summer of wisteriaをどうぞよろしくお願いします。こちらは旅行ブログになる予定です…。

2012年4月7日土曜日

Bicester Village

オックスフォード中心部からバスで約30分くらいのところにあるアウトレットモールに行ってきた。

市内からのアクセスは便利で、バスターミナルからならX5かS5に乗ってBicester Villageで降りて徒歩すぐ。往復でも4.4ポンドとお手軽な値段だった。鉄道駅までのシャトルバスもあるようだし、ロンドンからもバスが出ているようなのでアクセスはいいと思う。

店はそこそこあって、特にイギリスのフレグランスや化粧品なんかの店がいくつかあるはお土産にもなるし、今後使える気がした。Cath Kidsonの店もあって、型落ちのプリント商品が半額くらいになっている。よほどのキャスマニアじゃない限りどの柄が新しいか分からないし、花柄はそんなに古くなるものでもないので、なかなかいいと思った。あとMolton Brownやロクシタンの店は3つで○○ポンド、といった売り方をしていて、まとめ買いをするのに最適。ロクシタンでほしいボディソープがあったのだけど商品取り扱いがなかった。まあアウトレットなので仕方がない。

アウトレットのいいところは普段入らないようなGucciとかでも気軽に侵入できるところだが、そのぶんというのか特別な気分は味わえない。店員も、デパートや路面店の店員と比べるとずいぶんカジュアルなような気がする。

モール自体は屋外にあって今日のように寒くて小雨がぱらつく日にうろうろとするのはちょっとしんどい。カフェやレストランもいくつかあるけどフードコートがあるわけではなく、日本の巨大なアウトレットを想像するとがっかりするかもしれない。御殿場アウトレットのフロアマップを参照してみたが御殿場の4分の1くらいの広さと店の数ではないかと思う。

客層は中国人が多く、中東っぽい人(ベールをかぶってる女性とその家族とか)もちらほらいる。あとインド系らしき人。イギリスは移民が多いので非イギリス白人を見るのは普通だけど、お金持ちの外国人は行くところに行かないとあんまりいないので新鮮だった。中国人が激しく買い物している姿を見たらなぜか元気が出た。勢いが違うので圧倒されるけど、たまに中国人の買い物の様子や食事の様子を見ると力が湧く。

参考:

2012年4月6日金曜日

The Oxford Green Belt Way その1

季節もよくなってきたし、オックスフォード周辺の散策路The Oxford Green Belt Wayを歩き始めた。全長50マイル(80キロくらい)で全体が9つのステージに分かれている。

ガイドブックは以下の三冊。通販もしているようなので在英でほしい人はそちらから買ってください。

今回(行ったのは聖パトリックの日)はオックスフォード北部のWolvercoteからオックスフォード・カナル沿いに北上し、Hampton Poyleまで行く10キロの道のり(ステージ7)。

市内中心部からWolvercoteまで向かう6番のバスに乗り、終点で降りる。バスの来た方向に少し戻り、オックスフォード・カナルに沿った道に入る。ここから運河沿いにKidlingtonまで歩くのだが、あまり楽しくない。というのも、運河にはたくさんのボートが浮かんでおり、このボートに人が住んでいるのである。住人が簡易トイレをその辺でじゃばじゃば洗っている横を通ったりするのは住宅街の裏道を勝手に通っているようなものでかなり気まずい。しかも完全なる生活空間なのであまりきれいでもない。Kidlingtonの街に近づくとボート街は姿を消し、街を抜けると人の住むためのボートではなく、休暇にちょっと使うような別荘っぽいボートになって川の雰囲気が変わってくる。

Kidlingtonから先しばらく行ったThruppというところにパブが二軒ある。手前側のJolly Boatmanには入らなかったが、店内はこぎれいで、裏のテラスは運河に面していて感じがよさそうだった。入ったのはオックスフォードから見て奥のBoat Inn。街のパブという雰囲気でおしゃれではないが落ち着ける。聖パトリックの日に合わせて適当にアイルランドグッズが飾られていたがあまりやる気が感じられない。ケチャップやマスタードが小袋で提供されるのはちょっと興ざめだけどそれほど高いわけでもないしこんなもんかという感じ。主人は親切だった。

Thruppを過ぎると典型的なイングランドの田舎の風景が広がる。春を迎え、広い牧場で子連れの羊たちが草を食む。半ば打ち捨てられたような教会もある。Hampton Gayマナーファームの廃墟に入り込む羊たちの様子は絵になるなあと思ってみていたらやはり写真を撮りに来ている人がいた。

最後一キロほどどこが道なのか分からなくなり消耗するが、無事Hampton Poyleに到着。ちょうどバスが来る時間だったのでパブで飲み物を飲むことなく帰宅。

まとめ

  • いちおう目印となる黄色い矢印のついたシールのようなものがところどころにあるのだが、草原や牧場の踏み跡は薄くて地図を参照しながら気をつけて歩かないと道が分からなくなる。最後一キロほどはどこを歩いたらいいのか分からなくて消耗してしまった。迷って谷に落ちるとか遭難するとか、そういうルートではないので特別な装備はいらないけれど地図は常に携帯する必要がある。
  • このルートに関しては、楽しいのはThruppの手前くらいからなのでバスに乗ってThruppまで行くのもいいのではないかと思う。特にイギリスの田舎道を歩きたい、あまり時間のない人と行くときなどはそっちのほうがよさそう。

写真(全然ない)
歩き始めたところ。奥にボートが。

どこかわからないが、後半であることは確か。

古い教会と羊

2011年7月20日水曜日

Macbeth

六月半ばから二週間スペインに行って帰ってきてからというもの、ずっと調子が出ない。と言うか、ふだんから調子が出ている時の方が少ないのだけどもここ数日は特に。やることはいろいろとあるのだが。そもそも修論提出まで二ヶ月を切ったのにこのていたらくはまずい。

というわけでいろいろすべきことはあるけど気が乗らないのでひとまず先週見たMacbethの感想を書く。

Macbethはオックスフォードでも有数のお金持ち伝統カレッジ、トリニティが会場だったのでぜひ見たかった。しかし会場に着いてみると庭に立派な劇場が作られているというわけではなく、敷地の中だけど脇の小さな林の中に無理矢理押し込んで作った、というような感じだった。がっかりしたけど、中世スコットランドの田舎にいる感じがしてよかったかも。小雨が時々ぱらつく肌寒い日で、貸し出し毛布(1ポンド)を幕間の時に借りた。飲物も売っていて、温かいコーヒーや紅茶が飲める。

Oxford Theatre Guildという劇団の出し物だったのだが、この劇団は市民劇団ぽい感じで、普段は仕事を持っている、オックスフォード近郊の人でやっているようだった。そのためかちょっと素人っぽい?と思うこともあったのだけど、日が暮れてからはどんどん雰囲気が出てきて引き込まれた。

この演出で変わっているのは魔女が3人ではなく、9人もいるところ。マクベスの悲劇における魔女の役割が大きく、端役はほぼすべて魔女が化けていることになっていた。Wikipediaであらすじをチェックした限りの印象では、魔女3人だと、うまい話に思わず引き込まれて人間の弱さと怖さが露呈してしまう、という話に見えたのだけど、9人版では魔女という超自然的なものの思うがままに操られる哀れな人間たちの悲しさが目立った。ラストも変えてあって、魔女たちの差し金による次なる悲劇が予想される終わり方をする。

魔女が9人もいるのが、学芸会の時に全員出さなきゃいけないから元は3人の役を9人に増やしました、というのを思い出させた。あと明るい間は魔女の服がゴミ袋か給食の白衣みたいに見えたのでかなりいまいちに思ったのだが、暗くなってきてからは白い光る薄い生地を重ねた衣装がいい感じに照明を反射しておどろおどろしくてよかった。全体に、暗くなってからが光の加減とか、周りの木がざわざわと音を立てる怪しさとか、効果的に作用しておもしろかったように思う。土曜日にはマチネーもしてたらしいけどそれはちょっといまいちだったのではないかな…。

英語の劇を見たのもシェイクスピアを見たのも初めてだったけど楽しかった。もっと見たい。シェイクスピアは同じ作品を色んな人が色んな演出しているのが楽しめそうだし特に。筋を知ってても演劇っておもしろいな。むしろ筋を知らないとおもしろくないのか?英語の音を楽しめたのもよかった。魔女たちがMacbeth!と連呼するところではすごい勢いで舌を噛んでて、英語の音の力強さと激しさを耳で聞けた。英語はあまり好きな言語じゃないけど、こうして劇や詩の朗読なんかを楽しめば英語のよさも感じるようになってくるのではないかと思った。不思議なのは、演劇や詩の朗読ってその場にいるとかなり音が飛び込んできてそれだけで満足するのだけど同じものをデータで聞いたり見たりしてもいまいち退屈なことだ。やっぱり生音が一番、というのは音楽よりも、人の話し声で感じる。

未確認生物学

今、Museum of the History of ScienceでEccentricityという特別展を開催中。今日はその関連で、雪男研究者についてのレクチャーがあるということで聞きに行ってきた。

発表者はアメリカのBrian Regalという研究者でいかにもアメリカンという声の張りと身振りの激しさとアメリカンジョークで圧倒された。アメリカンジョークは意外とイギリス人にもうけてたみたい(それか、笑うのが礼儀だと思って笑ってたのか?)。大学のオフィシャルによれば、ダーウィンについての本を書いたり(Creationalistが剽窃したらしい)、テレビに出たり、雑誌に投稿したりとかなり目立った活動している人のようだ。元々進化論を研究しているらしい。さらにCVによれば、大学に入る前は軍隊に8年くらいいたみたい。アメリカでも珍しい経歴だろうか?

テーマはCryptozoology。この単語知らなかったがWikipediaによれば「未確認生物学」のことで、ネッシーとか雪男とか、存在がかなり怪しい未確認生物の研究を指すらしい。Ulisses Aldrovandiから始まってざっと有名な学者の話のあと、チベットで発見されたというイエティの解説があり、本題のGrover Krantzの話をじっくりと約40分ほど。ちなみにUlisses Aldrovandiの仕事は以下のビデオにまとめられているようなものらしい。





Grover Krantz(クランツだと思うけど英語読みはクランズなのかな?)はアメリカの学者で、ずっとビッグフット(サスカッチ)を追っていた。これだけ聞くと怪しいようだがバークレイで学びアカデミックな背景はきちんと持っている。クランツに限らず、ビッグフットの研究者はアマチュアだけではなく大学教育を受けた学者も数多いらしい。クランツはテーマが変わっていたというだけではなくかなりの奇人でもあった。犬が生涯の友で、愛犬が死んだ時には剥製にしようとしたができず、骨格標本を残そうとしたものの愛する友人を切り裂くことが出来ずナイフを手に震えていた。結局犬の死体を地面に埋めて、一年後の真夜中骨だけを掘り出して骨格を残した。亡くなる前にスミソニアン博物館に研究ノートなどを寄贈することにしたが、寄贈の条件は自分の骨格標本と犬の骨格も引き取ること。スミソニアンは引き受け、今は骨を見ることが出来るとか。また、ビッグフットが有名になり、子供からもファンレターがたくさん届いたという。そのファンレターもパワポで見せていた。

レクチャーはわりとクランツのおもしろエピソードを取り出してちょこちょこ解説、という感じだったがあとの質問がかなり盛り上がり、違う方向性の話を聞けた。ビッグフットはアメリカ先住民の間では「毛深いヒト」として認識されていたのが、白人が「類人猿に似たもの」と言い出してから猿として認識するようになったとか、ロシアにもビッグフットを信じている科学者のグループがあるが、彼らはビッグフットを現生人類とは違うヒトの生き残りであると考えているとか。ロシア(といってたけど多分ソ連のことだろう)はイエティ調査を実施しており、それはチベット、中央アジア、ヒマラヤ辺りの紛争地域でイギリスやアメリカがイエティ調査を隠れ蓑に怪しい行動をしているのではないかという警戒のためもあったと。実際、イエティを追っていた学者はアメリカやイギリスの諜報機関と何らかの関わりがあった。あとテネシーでは家にビッグフットが出入りして交流を深め、英語とビッグフット語を互いに教え合っているという話があるらしいがこれの9に書いてあることかな。ロシアにそれを研究しようとしてる人がいるみたい。

最近本を出したばかりだそうで宣伝していた。読みたいけど買うにはけっこうな値段。

2011年7月19日火曜日

Oxford観光情報

有名観光地に住んでいるためお客さんが多く来る。せっかくなので見たところなどをメモしておきたい。特に地元イギリス人と交流があるわけではないので、「地元民だけが知る店」などはわからないが何かの参考になれば。

昨日は観光名所を色々まわった。はずせないのでクライスト・チャーチに行ったが、驚くほど混んでいた。今は観光シーズンな上、夏休みを利用して各国から語学留学の若者が集まってきているかららしい。昨日は日曜日だったからよけいに多かったのだろう。私はハリー・ポッターシリーズを読んでもいないし映画も一本も見ていないのでよくわからないが、クライスト・チャーチの食堂が使われているようだ。

ここからは文句。カレッジの入り口には本日公開されている施設が一覧になっており、昨日はホール(食堂)は公開していないがカテドラルは公開していることになっていた。ところが、中に入ってみると逆であた。ホールは狭いため同時にたくさんの人が入れないためか、まるでディズニーランドのアトラクションのように人が並んでいた。ホールには入れないとなると、他に見るものはカテドラルなのだがそれは開いていない。結局何も見ずに出てきた。クライスト・チャーチは大人一人8ポンド(夏期)なのであまりにもぼったくっているように感じた。とはいえ、一番の目玉カレッジだからカレッジ一つ選ぶとすればここになるのかなあ。ちなみに12月に行ったときは誰もいなかった。

公開しているカレッジで他に昨日行ったのはモードリン・カレッジとニュー・カレッジ。モードリン・カレッジは白い紫陽花と石壁のコントラストが美しかった。広大な庭には鹿もいるし、川沿いの道を散策するのも気分がいい。中にはカフェもあり、川を見ながらお茶できるらしい。ここはガーゴイルでも有名で、妙な顔のやつがいっぱいいる。

ニュー・カレッジは外界から隔絶されたような空間だった。全く21世紀にいる気がしない。ビルも見えないし、電線もない。かつての城壁に囲まれた庭を壁に沿って歩いていても車の音もしない。美しい庭にはいろいろな花が咲き乱れている。こんなとこで勉強していたらかなりの特権気分が味わえるだろうし、ここで過ごす3年だか4年だかの大学生活は一生忘れられないものになるだろうと思った。

ボードリアン図書館のツアーにも参加したのだった。今までミニツアー(30分)には二回参加しているがスタンダード(1時間)は初めて。過去二回はフィンランド人の学生だったが今回はイギリス人のポッシュおばさんだった。もし時間があるならスタンダードの方がいい。特に本好き・図書館好きの人はスタンダードの方がいいと思う。見られる場所も多いし、各場所での説明もミニツアーより詳しい。人数制限がある上当日チケットを買うしかないので、観光シーズンには11時すぎに窓口に走ったほうがいいかも知れない。

昼食はTurf Tavernでサンデイ・ローストを初めて食べた。肉も柔らかく付け合わせの野菜もおいしくて満足。私にはちょうど良かったが、男性には少ないかも。肉の量が少ないしイギリス人にとっては軽い食事なのかも。

お茶はThe Grand Cafeで。日曜は7時までみたいで最後の方は音楽が止まってた。いい店だけどちょっと狭いかな。あと店員がもっと優雅な感じだったらいいのにとちょっと思う…。普通の喫茶店のように気さくだ。ケーキがおいしそうだった(食べてない)。いちおうイングランドで一番古いコーヒーショップらしいけど本当なんだろうか。

晩ご飯はカウリー・ロードの蘭桂坊で食べた。日本のお店のようなPOPが店中にあり、お皿も日本の居酒屋のようなお皿だし、壁の半分が皮だか合成皮革だかのクッションみたいになっているところとか、キティちゃんの風船がなぜかあるところとか、店の中に本棚があって雑誌が読める所とか、日本のお店のようで落ち着けた。傘を預かってくれてあとで出してくれるという心配りもあった。カクテルも各種揃い、食事のあとも飲みつづけることができるしまさに居酒屋のよう。おいしかったが一品8ポンドくらいして中華料理としては高い方ではないかと思う。

写真がなくてつまらないエントリーになってしまった。でも写真を撮るのが嫌いなので今後もこうなってしまうかも。カメラを構えることによってそのときの気分が中断されてしまうのが嫌だ。写真を見ることは好きなので自分で撮った写真がないのはあとあと残念ではあるんだけども。

2011年6月12日日曜日

La mala educación (バッド・エデュケーション)

もうずいぶん前(公開当時)に見て以来の鑑賞。年代と場所を把握したくて見たのだが、全くあらすじを覚えていなかった。覚えていたのは、少年時代の顛末だけだ。
以下映画のストーリーに触れます。この映画はあらすじを知ってしまうとおもしろくないと思うので注意。これってレオノール・ワトリングがちらっと出てたんだねえ。全然気づかなかった。IMDb見て初めて知ったよ。
IMDb: Bad Education















年代はDVDに入っていたエクストラのアルモドバル本人による説明を参考にしました。

現実部分
1980年、マドリード。映画監督エンリケのもとに初恋の相手イグナシオと名乗る青年が突然訪ねてくる。が、どうしてもエンリケは彼がイグナシオであるように思えない。しかも、イグナシオは「今は母親ですら芸名のアンヘルと呼ぶのだから、ぼくのことはアンヘルと呼んでくれ」と執拗に頼む。イグナシオ改めアンヘルは二人の少年時代の思い出に基づいた小説を手にしていた。これをエンリケが映画化し、アンヘルが出演するというのがアンヘルの希望だった。エンリケは小説に魅了され、映画を撮ろうと決意。アンヘルをエンリケ役にしようと考えるのだがアンヘルは何としてでもサラ役がやりたいと食い下がり、交渉は決裂する。アンヘルが忘れたライターにはガリシアの村Ortigeiraの名前があった。そこはイグナシオの故郷でもある。エンリケはライターに書いてあった店を訪ね、アンヘルのことを聞き、その後イグナシオの実家を訪ねる。イグナシオは三年前にすでに死んでいた。イグナシオの写真の横にはアンヘルの写真が飾ってあった。彼はイグナシオの弟だったのだ。本名はフアン。
エンリケはアンヘルの素性を知っていることを隠すことにした。希望通りアンヘルにサラの役を与える。その「試験」は肉体関係を結ぶことであり、その関係は数ヶ月続いた。
撮影は順調に進み、最後の日を迎える。その日、撮影場所に見慣れない男が現れた。彼は、駿府であることをやめたマノロ神父だった。マノロ神父改めマヌエルはうらぶれた風貌で咳をしながら、フアン、イグナシオとの顛末、実際に起きたことについて全てを語った。
全てを知ったエンリケはアンヘルを拒絶する。元神父はここ何年もアンヘルを探し続けていたのをようやく見つけたのだが、アンヘルに拒絶される。家までエンリケを訪ねたアンヘルはすぐに追い返されるが、最後にイグナシオが死の直前に書いたエンリケへの書きかけの手紙を渡される。
その後の三人の人生が文字で説明される。アンヘルは俳優として成功し、衣装係の女性と結婚。マヌエルはアンヘルを脅迫し続け、ついにはアンヘルが運転する車にひき殺される。エンリケは映画を撮り続ける。

マノロ神父の回想(1977年)
神父をやめ、バレンシアで出版社を営むマノロ神父改めマヌエルにある日電話がかかってくる。イグナシオだった。少年時代にマヌエルから受けた性暴力を記した小説を書いたという。これを公にされたくなければ、性転換にかかる費用を出せ、とイグナシオはマヌエルを脅した。イグナシオの元を訪ねるマヌエル。イグナシオは薬物におぼれていた。現在のイグナシオの姿に失望したマヌエルは、イグナシオと同居していた弟のフアンの姿に目を留める。彼はフアンに夢中になった。金を渡しにイグナシオの元を訪れても、フアンの姿を目で追ってしまう。ある日、イグナシオは旅行に出かけた。その隙を見て、マヌエルはフアンと関係を持つことに成功する。二人の関係は帰ってきたイグナシオに見つかり、マヌエルはこれも脅迫の材料に加えると脅される。フアンとマヌエルの二人はイグナシオを殺すことを決意する。イグナシオはマヌエルが用意したヘロインが原因で死亡。その夜を最後に、フアンとマヌエルが会うことはなかった。

劇中映画部分(La visita)
1964年(サラ・モンティエル主演映画Esa mujerを見ていることを考えると劇中の設定は1969年かもしれない)、エンリケとイグナシオは寄宿学校にいた。マノロ神父はイグナシオに惚れ込み、野外学習中にいたずらをするが拒否される。エンリケとイグナシオは好意を抱きあう仲となり、二人で出かけた映画館で手淫を覚える。その夜、眠れない二人がトイレで話しているところをマノロ神父に見つかり、激高したマノロ神父はエンリケの放校をちらつかせる。エンリケのためにイグナシオはマノロ神父に体を売るが、結局マノロ神父は裏切りエンリケは退学になる。イグナシオは復讐を誓う。
1977年。ドラッグクイーンとなったイグナシオ改めサラは今はうらぶれた劇場となった思い出の映画館でショーに出演した。舞台近くにいた男とショーのあと行為に及ぶが、なんと男は最中に寝てしまう。怒ったサラは男の財布から現金を抜き取ろうとするが、そこには恋しいエンリケの名前があった。手紙を残し、サラは男の元を去る。
サラは、イグナシオの姉と名乗り、母校にマノロ神父を訪ねる。マノロ神父はイグナシオのことを覚えていないと主張するがいまも忘れてはいない。サラは少年時代のイグナシオに何をしたかを書き記した小説を公表すると脅し、現金を要求する。言い争う二人の元に副校長のホセ神父が現れサラを縛り上げる。ホセ神父の口からサラこそがイグナシオだと知ったマノロ神父は言葉を失い、何か言おうとするがホセ神父がその場でサラを殺してしまう。二人は殺人を内密にすることを決意する。

2011年5月2日月曜日

カタルーニャ語学習日記 四日目

表現力アップと単語力アップというコーナーのみ。Parla.catをほぼ1ユニット分さらったからというのもあるのだけど時間がかかりすぎる。本当に6月半ばまでに終わるのかな?

表現力アップは挨拶、単語力アップは国名・地名とその形容詞。スペイン語とけっこう違うので苦労する。日本とかスペインとかは使うから覚えるけど、国名に冠詞があるのとないのがあってそれが覚えにくい。ヨーロッパの国々には冠詞がつかない国が多いみたい。

「バレンシア人」も必須だと思うのだけどなぜParla.catにすらないかね…?バルセロナ中心主義なのだろうかと邪推してしまう。バレンシアに関しては、地名 València 男性単数 valencià 女性単数 valenciana 男性複数 valencians 女性複数 valencienes という風になる。

2011年5月1日日曜日

カタルーニャ語学習日記 三日目

さっそく一日サボってしまいました。

今日はやっと第1課。 主語の人称代名詞とserの活用、人称冠詞、疑問文の作り方を学ぶ。復習の必要がないくらいの初歩と思っていたけどaixòとjaponèsのアクセントの方向を間違って覚えていたりとか、先が思いやられる。eとoの発音にそれぞれ3つ種類があるのが、カタルーニャ語の難易度を著しく上げてるんじゃないだろうか…。開いたoと閉じたo、開いたeと閉じたeの聞き分けができる人にとっては耳で聞いた通りにアクセントを打てばいいという話なのだろうが、日本語話者には厳しい。

テキスト内容に気になる点が3つ。
  1. Som de Japóはdel Japóが正しいのではないだろうか?
  2. 母音またはh+母音で始まる名前以外の男性の名前にはenがつくとあるけど、elでもいいのではないだろうか?
  3. スキット1行目、Hola, Bon diaのBonは小文字始まりなのでは?
2と3についてはParla.catでは私の考えていることが裏付けられたのだが、1に関してはまだ確認していない。人称冠詞はもしかすると地域によるのかもしれない。バレアレス諸島では、en, el, la, l'ではなく、en, na, n'が使われるというし。 カタルーニャ人たちに確認してみた方がいいのかもしれない。

発音に関してだけど、アクセントの落ちないe, aがいずれも英語で言うところのschwaになってしまうのは、発音を区別できればかなりそれっぽく発音できて、アクセントがあるかないかも音で表すことができるので便利なんだろうけど難しい。

カタルーニャ語は日常会話で保たれてきた言葉で、話すことがアイデンティティと密着した言葉であるためか、外人向けの教育がいまいちな気がする。耳でわかるけど書くことができない、という人を前提としているので、カタルーニャで書かれた教本では発音の解説がとてもわかりにくい。「開いたoの音ならアクセントをこのように打ちます」と言われても聞き取れないんだよ…。

今私が使っているニューエクスプレスではなく、エクスプレスは発音の規則についてもうちょっと詳しかった気がするんだけど、取っつきやすくするために削ってしまったのかな。

2011年4月29日金曜日

カタルーニャ語学習日記 二日目

今日やっと発音と文字を終えた。先は長い。6月半ばまでに終わらせるつもり。

l·lの入力法がわからなかったが、WordReferenceの質問箱に回答があった。スペイン語キーボードに変えた状態でシフト+数字の3で半角の中黒が出る。

nは前後にくる音によりずいぶん発音が変化するらしい。Parla.catの解説だと事細かに説明されていたが、エクスプレスではほとんど説明なし。どうも日本語なまりのままいけるからではないか。

いつかカタルーニャ語検定の上級を取りたいものだけどいつになるのかな…。

2011年4月28日木曜日

カタルーニャ語学習日記 一日目

修論でカタルーニャ語を扱うことにしたので復習を始めた。教科書は白水社のエクスプレス。



今日はカタルーニャ語の紹介を読み、「文字と発音」の子音gまでやった。カタルーニャ語は初級文法はだいたいやっているのでこの辺はわかるはずなのだが、文字と発音の規則がスペイン語よりはややこしく面倒くさい。この本ではおそらくcatalà oriental(東部カタルーニャ語)が基準になっていると思う。バルセロナが東部カタルーニャ語だからだろうか。発音は何が難しいかというと母音が8個あること。初めてカタルーニャ語を習った約2年前はもうちょっと聞き分けれた気がするけど今回はかなり難しい。耳が老化したんだろうか。

文字と発音のページには発音記号も記載されているがあまり説明が親切ではないので、発音に凝りたい人のために「脱・日本語なまり」をついでにおすすめしておく。カタルーニャ語については言及がないが、これを一通りやれば発音記号がどんな音を指しているかはわかるようになるはず。



エクスプレスは説明がえらくあっさりで、よくわからないところもあるので発音の規則についてはparla.catの文法の説明を参考にした。parla.catは無料で使えるカタルーニャ語自習サイト(チューターを付けることもできる。こちらは有料)で、解説にもカタルーニャ語、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語を選択できて大変便利。問題があるとすればあまりに充実しすぎていていつまで経っても次のステップに進めないことか。

あとは辞書。日本語カタルーニャ語の辞書もあるにはあるようだが現物を確認したことがないのでコメントは控える。スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語のいずれかができる人には多言語辞書が便利。スペイン語がわかる人には子供向け辞書DIDACも役に立つかもしれない。子供用辞書で「手」を引いたらイラストで見る人体、みたいなページがありそこには全裸の女性が数人入浴している図が…。一人はどこも隠さずに正面を向いている。子供の頃人体図って簡略化されたものか、ものすごくリアルな解剖図のどっちかしか見たことなかった気がするのだが、それはお国柄なのかな。

記憶の中の祖国

約一週間の日本滞在を終えてイギリスに戻ってきた。

今回は遊びに帰ったわけではないのでよけいなのだが、日本はずいぶん沈んで見えた。3月11日当日偶然東京にいた父はビルの高層階で地震を経験し、駅で一晩寝て帰ったという。その後地震のショックで不眠症になってしまったため、睡眠薬を服用していた。両親ともに原発問題に心囚われているようで、事ある毎に原発の話題が出た。プルト君のビデオも見せられた。

私の実家も夫の実家も西日本にあって表面上は全く何の影響もないのだが、特に原発問題が心にのしかかっているようだった。夫の実家は上関原発予定地から30キロくらいのところにあって、これまでは遠いと思っていたのだがもし何かあったら逃げなければいけない距離であり、さらに活断層の上に建っているという伊方原発からも近い。これまでは意識したこともなかったけど日本全国逃げ場無しという感覚があった。

日本のムードが沈んでいるような気がしているために、道路の白線の色が褪せていること、道が意外とデコボコなこと、に気づいてしまい日本お金ないのか、とさらに気が沈んだが前からそうであったのではないかという指摘を受けた。気のせいで妙なところに目が行くものである。

日本を離れて三年目になるためか、記憶の中の日本と現実の日本がどんどん離れていく。本当に変化しているのか、記憶の中の日本が美化されているのかわからない。

震災のことを忘れないために毎月どこかしらに募金をすることにした。先月は日本赤十字社にしたが、今月は栄村に。栄村はどこかすら把握してなかったが、帰国したら父から「秋山郷だ」と教えられた。秋山郷と言えば、ブラジルから帰ってきて初めて国内旅行した思い出の場所で、雪深い秘境じゃないか。全く調べてもいなかった。

中部電力が浜岡原子力発電所三号機の再稼働を目指しているようだ。気分が悪くなってきた。もし福島第一の事故のあとでさらに事故があるようでは日本という国も日本というブランドも今後評価されることはないだろう。というか原発容認派が多数派なの?不安を訴える声は全く届いていないのか?

2011年4月16日土曜日

毎日書くのって意外と難しい。

「日本では今の状況について人々はどう考えているのか、日本人からの生の声を聞きたい」と言われたのだけど上手く説明できず。被災地のことはわからないし、身近なのは西日本にいる家族なので、「不安がないわけではないが、平常に暮らしている」、と言ったら何か不満げだった(ように見えたが被害妄想かも)。だって何ができるのか?少しでも前向きに考えていくしかないんじゃないの?と言ったところ君はここにいて安全だから、てまあそれもあるんだけど…。それは私が海外にいるからというだけじゃなくて、多くの日本関係者がそう思ってるんじゃないかと思う。

私が笑顔で楽しくしているからといって地震や原発事故や今後の日本の風評被害やらを心配してないわけではない。戦争や災害で「ややこしい国」から来ている人に今まで何人か会ったけど、明るかったり、楽しかったり、あんまり他の人と変わらなかったりするんだな、と思っていた。出身国が災害や戦争でひどいことになっていても個人個人は楽しいことも悲しいこともあり、一方で国の現況が個人の感情や生活に影を落とさないわけではない、ということがつかみにくかった。今の日本は「ややこしい国」として見られてると思うのだが、そういう国の人なんだからこうだろう、というのは多分あって(私自身がそういうのを考えやすいからそう思うのか)、それにどうこたえるのか、というのが難しい。

取り立てて日本大好き!というわけではなかったけど、これまでは、気が進まないけど、結局住んでみたらいちばん落ち着くし、生活のレベルも高いし、一番満足するのは日本でしょ、という思いがあった。でもそれが今回の震災で怪しくなってきた。とっさに、もしかしたら、私は海外でずっと生きていかなければいけないのかもしれない、という考えが頭をよぎった。そんなことを考えてしまう辺りに日本にいる人との大きなギャップがあるんだろう。

家に帰ってくるとどうものんびりしてしまう。明日はお客さまが来るので、買い物に行って食事の下準備をしないと!掃除もしなきゃね。お土産も買わなければいけない。明後日帰国なんて信じられないなあ…。名古屋も山口も寒いだろうか。

ちなみにレシピはカレーとルバーブのムース。おつまみにアボガドとカニかまの和えたの、サラダはにんじんのサラダを作ろうかと考えている。カレーに合うサラダの質問が役立つ。

関係ない話だがわさびマヨに醤油をちょっと入れたのは外国人に好評。魚介類とも野菜とも合う。クレソンをお寿司にするのはどうだろうか。ちょっと味がきついかな。

2011年4月13日水曜日

日本人仲間と中華街でお昼を食べた。ロンドン中華街で唯一、トロリーに乗せて飲茶を運んでくる「新世界」という店に行ってきた。外から見るとがらがらに見えたが、実はけっこう混雑していた。トロリーが次々とやってきて忙しない。菜の花のオイスターソースがけ、ラーメンのような麺、エビシュウマイ、エビ入りの透明なシュウマイっぽいもの、小さいエビを何匹か薄い衣でくるんで揚げたもの、ワンタンのような生地でエビをくるんであるもの、ごま団子を食べて3人で30ポンドちょっと。まあまあ安いのではないかな。今度はもっといろいろとたくさん食べまくりたい。中華系もいたが白人もいて、隣のテーブルは白人男性二人と子供二人だった。日本で平日昼間に男性二人と子供二人が飲茶食べてるってなかなかない状況だろうな。


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その後ライスワインで日本食を買って、お茶でもしようとぶらぶらしていたらナショナルジオグラフィックのカフェを見つけた(ナショナルジオグラフィックストアロンドン店])。ナショナルジオグラフィックの商品を売る店にカフェが併設されているみたい。天井にはモロッコのランプのようなものがぶら下がっている。ふと椅子を見たら何と値札がついていた。よく見たら店中の家具に値札がついていた。カフェなんて汚れたり傷ついたり日常茶飯事だろうに、売り物になるのだろうか。店員がスペイン語圏の人ばっかりっぽいけど何でだろうと思っていたのだが、ウェブサイトを見たところお店の経営はスペインの会社がやっているらしい。私はありきたりなカフェモカを頼んでしまったが、一人は緑茶と紅茶を混ぜてフレイバーを足したもの、を頼んでいた。イギリスに来てからよく分からないお茶を見かけることが多い。緑茶+柑橘類などは普通にスーパーでも売られている。日本でもフラペチーノとかでは奇妙な組み合わせのものもあるけど、緑茶やほうじ茶はあまりアレンジしないと思う。


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四時くらいに解散して大学へ向かい、ちょっと作業する。久しぶりにスタイルシートに触れた。プロの作ったものをいじったので構成が難しくてなかなか進まない。なぜかウェブページの一部が消えてしまったりとか…。

10時前に帰宅。今日もグリーンペスト(センズベリー製)とロケットのサラダ。

2010年8月17日火曜日

ジュネーブ紀行

夫が用事があったので私もついて行って観光した。

チューリッヒを七時過ぎに出る電車に乗り、ビール乗り換えで10時前にジュネーブ着。ここから個人行動。まずは観光案内所に行って、市街図と路線図をもらう。偶然並んでいた窓口のお兄さんがスペイン語バイリンガル(多分南米系の人)だったのでスペイン語を練習させてもらった。赤十字・赤新月博物館と、CERNのMicrocosmとどっちがおすすめか?と聞いてみたところ、赤十字・赤新月博物館の方がガイドツアーもあるし興味深いが、Microcosmは全体に文字の説明ばかりだ、しかし興味があれば面白いんじゃないか、とのことだった。

あまり面白くない予感はするが、せっかくなので前から予定していたMicrocosmに行くことにした。 MicrocosmはCERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の学習・解説のための施設。本当はCERN内部の見学ツアーに参加したかったのだが、一週間前に予約を試みたら九月いっぱいまで満員だった。Microcosmまではまず市電14番か16番に乗り、途中で56番のバスに乗り換えて終点1つ手前のバス停まで。途中移民街のような所を通っていく。乗り換え地点辺りは恐らく公営住宅であろう、同じ形のアパートが並んでいる。特に危険な感じはしないが、チューリッヒよりは少し荒れているような雰囲気がある。

終点で降りてからよくわからず門番に尋ねたら、英語が分かっているようだけどひたすらフランス語で返してきた。受付の建物に行け、ということらしい。入ってみるとレトロな雰囲気。60年代か70年代にできた日本の科学関係の博物館と雰囲気が似ている。意外と人が多く、子供連れで混雑していた。

From Genf
Microcosm内部。意外と混んでいる。


From Genf
ヨーロッパの若者がソ連やアメリカに行かなくとも物理学を研究できるようにすることもCERNの目的の1つだったらしい。教育を外部委託しない心意気がまぶしく見えた…。

From Genf
CERN入り口。一般人は入れないようだ。

展示は確かに案内所の人が言った通り、文字ばっかりだった。英仏独伊の四言語で書かれているのでいずれかがわかれば理解できる、はずだが、日本語でもよく分からない物理の説明を英語で読むのは骨が折れる。途中疲れてきて全部は読めなかった。前半は素粒子とは何か、後半はCERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)に関しての解説であった。物理の事象を数式を使わず言葉だけでわかりやすく説明するのは難しく、言葉だけで理解するのは無理なのではないかと思った。

見学終了後、お土産コーナーへ。お土産は意外にも充実している。しかも、けっこう安いと思う。素粒子のぬいぐるみがかわいかった。CERNトランプ(3フラン)と、CERNの研究を子供向けに説明したコミック(6フラン)を購入。Tシャツなど洋服類が充実していた。

その後道路を挟んで正面にある木でできたドームに行ってみた。中にはロレックス提供の展示がある。ちょうど映像を上映する時に入れたので見たが、最後ROLEXと大きく出るのでみな苦笑していた。

再びバス、トラムを乗り継ぎコルナヴァン駅まで戻る。Rough Guideに載っていたエチオピア料理店Zara 2001で昼食。店員が「食事?」と聞いてきたが聞き取れず、怪しい人が近づいてきたのかと思って最大限に警戒してしまい、失礼なことをしてしまった。本日のメニューが安かったので何かよく分からないがそれにした。あとミントレモネード。出てきたものは、金属製のお盆に4枚クレープを敷き詰めたものと何かの肉のピリ辛シチュー。レモネードは、ブルーハワイを薄めたようなどぎつい緑色の飲物だった。定食はどうも手で食べるらしいが、どうしたらいいのか全く分からず、店員ともフランス語でコミュニケーションが取れないので近くにいたカップルの真似をして食べた。味はよかったが量が多すぎて完食できず。途中、親戚らしき子供がやってきた。親族皆でトランプをしていたようだ。子供らはドイツ語をネイティブのように喋っていた。一族でスイスに分かれて住んでいるのかもしれない。

昼食後、トラムに乗って国連へ。ニュースで見たような名前を冠した建物が多く建っている。国連の建物に入るときには飛行機に乗るときのような身体チェックがある。その後、パスポート番号を登録され、その場で写真を撮られて身分証のようなものを作り、身につけなければいけない。あとで気づいたら私の名字は間違って登録されていた。ガイドツアーは大盛況で行列だった。夏休みだからだろうか。ガイドツアーは英、西、仏のいずれかは予約無しでも開催されていたようだった。本当はスペイン語がよかったけど、時間が遅すぎたので英語にした。英語ツアーの人どうぞ、と言われて移動したら別の建物でしばらく待たされた。本屋兼お土産物屋をその間にのぞく。お土産はどれもこれもやたら高く、多分国連の運営資金になってるんじゃないかと思う。


From Genf
国連正面入り口(一般客はここからは入れない)


From Genf
唐突に現れるガンジー像

二十分ほど待っていたらツアー開始。ツアーの中にカタルーニャ人の家族が3家族ほどいて、気になって仕方がなかったので写真を撮りますよ、と話しかけて交流を試みる。最初カタルーニャ語で話しかけてみたが、外人が話すとは基本的に思っていないので英語で返された。写真を撮ったあと、カタルーニャ人ですか?とカタルーニャ語で聞いたら通じなかったのでスペイン語で聞いたらやっと分かってもらえて、そこからはカタルーニャ語で話すことができた。やはり、驚いていた。そしてまだ十歳くらいの男の子にまで「ありがとう!」と言われた。彼はすでに立派なカタラニスタだと思う。

二つのホールにカタルーニャ出身の作家の作品が使われていて、1つはJosep Maria Sert、もう1つはつい最近できたばかりのMiquel Barcelóの作品。Josep Maria Sertの作品は黒と金の日本の屏風のようであった。絵自体は人類の進歩を描いていて全然屏風とは異なっていたが。未来派っぽいと言うか、共産主義の壁画みたいというか、時代を感じるものだった。ただ色が屏風っぽいので、絵をよく見なければ日本の歴史あるホテル(椿山荘とか)のような重厚な感じとも言える。カタルーニャ人が「スペインではなく、カタルーニャの作家である」とどうも係の人に説明していたようだ。


From Genf
手を伸ばしている人が案内の係員。

Miquel Barceloの作品はとにかくお金がかかったということでスペインでもかなりニュースになっていた。
UN artwork by Miquel Barcelo is a costy sum
写真を見ると光が天井からほのかに透けているように見えるが、これは白い塗料を全体に散らしてあるらしい。遠くから撮った写真しか見たことがなかったのでモデルニスモの作家のような、ガウディのモザイクのような作品かと思っていたが、まずつららというか鍾乳洞のような形を作り、その上に塗料を塗ったらしい。思ったよりもずっと気に入った。見る角度によって色と形が変わるというのがよい。カタルーニャ人たちも感動していた。

From Genf
ほぼ真横から作品を見ることができる。

ホールの天井以外にも至る所に各国から贈られた美術品がある。その国の特徴を表すものか、国連の理念を表すものかのいずれかなのでプロパガンダ芸術みたいなのが多く、それはそれでおもしろいが絵として面白いと思うものがあまりなかった。

国連見学後はWIPO(世界知的所有権機関)を見学。いちおうインフォメーションセンターがあるのだがお土産と本を少し売っているのと、10台ほどパソコンがあるだけ。そこに行くだけでも身分証をあずけてカードを首からかけなければいけない。用もないのに、インフォ以外の場所に入るのは無理そう。パンフレット系もネットからダウンロードできそうだったのでほとんどもらわずに帰ってきた。

From Genf
WIPOの庭にあったチーターの彫刻。

From Genf
WIPO正面入り口(工事中だった)。

バスに乗って駅に戻り、夫と合流して帰宅。

実用情報
CERN見学ツアーの解説と予約
Visit CERN - Guided Tours

Zara 2001
Rue de Lausanne 25
1201 Genève, Switzerland
022 731 06 96

ジュネーブの交通
tpg

国連ヨーロッパ本部
予約フォームを見たら、オプションとして見学のあとカフェテリアで食事をすることもできるらしい。

2010年8月4日水曜日

Paradies Schweiz (Museum für Gestaltung)

すでに10日ほど前になるけど、Museum für Gestaltungで特別展を見てきた。スイス人は自己イメージをどのようにとらえ、どのように提示してきたのか?を19世紀から現在に至るポスターを通して展示する。展示室は小さかったが見応えがあった。取り上げられていたスイスの自己イメージは3つ。1つめはマッターホルンに代表される山。2つめはスイス国旗の赤字に白の十字。3つめはハイジのような田舎の風俗。

印象に残ったものをいくつか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターで、建設禁止賛成派はスイスの国旗の上にミサイルのような形状のミナレットが立ち並び、ブルカをまとった女性が前面に描かれたポスターを制作した。かなりインパクトがある。スイス性がミナレットによって脅かされるイメージか。一方反対派はあえてスイスをアピールせず、「スイスの空は、全ての宗教を受け入れる広さがある」と空を広く取り、ポスターの下方に様々な宗教施設の屋根が並ぶデザインにした(なぜか、問題のミナレットはなかった)。

あとエイズ予防のためにコンドームの使用を呼びかけるポスター。ハイジのような素朴ないかにもスイス風衣装をまとった少女が親指にコンドームをはめて、「無しでするの?私無しでやれば」と言っている。リンク先の一番下の列、真ん中のポスター。他のバージョンは特にスイスのイメージは利用していないらしい。スイス=田舎者、というイメージを自虐的に利用しているという解説があった。

20世紀前半、第二次大戦前のポスターは山々の間を走る鉄道、高速道路の未来的イメージと山岳の清浄なるイメージを組み合わせたものがいくつかあった。最新の文明と、自然が同居する未来の楽園というイメージは今でもスイスのイメージとして有効なのではないか。スイスの有名山岳リゾートツェルマットからゴルナーグラートバーンに乗ったが、3000メートルを超える地点まで楽々と連れて行かれて安全なまま別世界を楽しむことができた。目の前に広がる雄大な山々は本物だけれど、そこに至るまでの道、あるいは終点のゴルナーグラート自体はしっかり手が入って骨抜きになっている自然だ。また、ティチーノのハイキングルートも途中何カ所も小さな流れを渡ったが、自然の景観を壊さないようにしつつ、コントロールされていた。すっかり手なずけられた美しい自然を安心して楽しめる、未来の国を実現している希有な場所なんだと思う。

山、スイス国旗、田舎はスイスの全地域共通のイメージであるらしいことを確認したが、スイスに関して最も不思議なのはいわゆる国民としての統合を何によって行った(行っている)のかということである。多くの国でそれは言葉であり、国語の統合に心を砕き中央が認める言語以外を滅ぼしていったのだろうけど、スイスでは公用語が4つもあり、言語による統合は全く行われていない。この展覧会で取り上げられたようなスイスイメージが寄与している部分もあるのだろうか。


美術館ではもう一つ別の展示をやっていてそれも見た。Charlotte Perriandという女性に関する展示で誰か全く知らなかったがコルビジェと仕事をしていた人らしい。二度来日している。1930年代に政治的な活動にコミットしていた頃の作品が高校の文化祭のクラス発表を思い出させるコラージュで、コラージュしたくなった。椅子、写真の展示、本人が語るビデオの上映もあり興味がある人にはたまらない展示ではないかと思う。

博物館自体もレトロな建物で、魅力がある。50年代に建てられた大学の校舎のよう。なぜかフロアマップがないのだが、それもまたよし。なかなかに快適そうなカフェも併設されている。

Museum für Gestaltung
Ausstellungsstr. 60
CH-8005 Zürich


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2010年7月22日木曜日

Schweizerisches Landesmuseum

チューリッヒでの日々も終わりに近づいているので、慌てていろいろと巡ろうとしている。今日はSchweizerisches Landesmuseum(スイス国立博物館)に行ってきた。木曜日なので夜の七時まで開いている(それ以外の日は午後五時まで)。

特別展のZauber Berge. Die Schweiz als Kraftraum und Sanatorium(魔の山:ジムとサナトリウムとしてのスイス)目当てで行ったが、せっかくなのでざっくり全部見てきた。

とりあえずよく知らないスイスの歴史を眺めようと、チケットを買った後すぐに二階に上がってスイスの歴史コーナーを見る。歴史順に並んでいるわけではなく、4つのテーマに沿って展示が分かれていた。1つめは、スイスは常にスイス人が住み続けていたわけではない、と絶え間ない移住者についての解説。ホモ・サピエンスから最近の移民まで。19世紀までは移民の送り出し国だったが、その後のイタリア移民をはじめ、第二次大戦後からは旧ユーゴ、トルコ、イタリア、ポルトガル、スペイン等から大量に移民がやってきた。戦後には移民受け入れ反対の住民投票(スイスは直接民主制)も行われたが全て否決された。

2つめのコーナーは宗教について。宗教改革の有名人カルヴァンとツヴィングリはどちらもスイス人なので、宗教改革が展示の中心になっている。カトリックとプロテスタントの教会の内装がどのように異なるか、写真を並べて提示していたのが面白かった。

3つめはスイス連邦の歴史。スイスの歴史がさっぱり分からないので解説を読む気にもならず飛ばしてしまった。女性の権利の展示が一角にあったのだが、妙に新しく見えたので今調べたらスイスは1971年になるまで女性に選挙権がなく、連邦の憲法で男女同権が保証されたのは1981年のことらしい(政治-スイスの情報)。女性に選挙権を与えるか否か、の住民投票のポスターが強烈だった。賛成側は、「女性が選挙権を得るためには、男性の貴方が必要なのです」と花束と、それを持つ男性の手が描かれて優しさを強調しているのに対し、反対側は赤ちゃんのおしゃぶりにハエが止まっている絵が描かれていた。女性の本分をないがしろにすると子供が犠牲になる、ということなのか。ミナレット建設禁止住民投票の時のポスターもそうだけど、既成の価値観を守ろうとする側のポスターの表現の方が強烈だ。


4つめは、外国でお金を儲けたスイス人について。古くは貧しさからヨーロッパ各地で傭兵として働き、中には一儲けして帰ってきて豪邸を建てた人もいたらしい。植民地主義の時代に入ってからは、植民地に絡む貿易(奴隷貿易とか)に従事した大商人も生まれた。最後は現在のスイスの象徴、銀行業で締める。

ここまででかなりのボリュームでふらふらになった。続いてスイスの家具という特別展のフロアに入ったがもう見る気にならない。入場券を常設展と特別展で分けてほしい。全て込みで10フランは展示の量を考えれば納得だが1日で見るのは体力が要る。一回出ても券の購入時にもらうシールさえ付けていれば何度でも再入場可能なので外に出て休んでは入館、とすればいいのかもしれないけど…。

別の特別展、ナイフの展示も素通りし、恐らく常設と思われる美術展示も素通り。この美術展示はかなりの量があるのだがぎゅうぎゅうに所狭しと展示してあって、どれが大事なのかよく分からないくらい。キリスト教美術が充実しているようだった。

今日のお目当ての「魔の山」展示を見る前にカフェテリアでコーヒーを飲む。紙コップに入ったカプチーノ4フラン。

「魔の山」の展示はかなりおもしろかった。大体3つに分かれており、1つめはスイスの4大健康スポットの解説。2つめは、20世紀初頭から大戦直後くらいまで、健康志向の人々を引きつけた(もちろんスイスが売り出した要素でもある)スイスの4つの要素、水、高地、ハーブ、光について。3つめは、トレーニングとスイス発健康食品。

スイスの4大健康スポットは、アスコーナにあるモンテベリタ、チューリッヒベルクのクリニック(ミュースリー産みの親がやっていた)、サンモリッツのサナトリウム、 どこか忘れたのだがアルプスの中にある、皮膚結核専門の療養所の4つ。モンテベリタは自然に帰ることが人間のためになるという思想を持った人々のコロニーだった。動物性食品は一切取らず、人によっては喉の渇きも果物で癒すという徹底ぶり。日光が重要な要素で、太陽の光を浴びる全裸の若者の後ろ姿を描いた絵もある。何と神殿まであったらしい。
かなり興味深いので自分用のメモをかねて関連リンクを貼っておきます。
    バクーニンやヘッセも来ていたらしい。

    スイスと言えばハイジ、というくらいおなじみだけど、ハイジの物語も都会を離れ、肉食を離れ、高地で清浄な生活をするのが理想的というイデオロギーに沿っているという。ハイジはフランクフルトという大都会に行って病気になってしまい、その病気は山に戻るまで治ることはない。足の悪いクララは山に来たら何と歩けるようになってしまう。

    ヨーロッパ人が太陽の光が好きすぎて辟易することがあるが、こういう考え方が染みついてるのだとしたら納得する。また、この間ツェルマットに行って3000メートルを超えるところまで楽々電車で行くことができ、山頂の豪華な設備で快適に過ごせることに驚いたのだけど、こんな設備が100年前にできたのはこういう高地と光への信仰があったからでもあるのだろう。

    山岳リゾートとか銀行業とか、他に類を見ないお金儲けのアイディアがスイスにはあって、そのオリジナリティにはびっくりする。人々は日本人みたいにシャイで、どちらかというと横並び好きに見えるのだけど。

    スイス健康産業華やかなりし頃の写真を3Dで見る映写室のようなものがあって、それもおもしろかった。ヌーディストの写真がたくさんあってどぎまぎした。

    3時半前に入館して、見終わるのに7時少し前までかかった。全部じっくり見ようと思ったら1日では足らないと思う。今は改装工事中なので、もしかすると改装が終わったらもっと展示物が増えてしまうのかもしれない。

    今回はモンテベリタ情報を得ることができたのが収穫。Museum für Gestaltungでスイスの観光イメージ戦略についての展示をしているので、そちらを今週中に見に行ってスイスの知識をもうちょっと深めてくる予定。

    2010年7月21日水曜日

    湖水浴

    暑くて仕方がないので近所のプールに行ってきた。プールと言っても、チューリッヒ湖の一角を囲い、岸辺に芝生があり、着替えるところ、シャワー、ロッカーなどを備えた建物が併設されているもので普通のプールではない。

    日も陰り、雨の降りそうな時間帯に行ったため水が冷たかった。普段長距離を泳ぐのには慣れているので大丈夫だと思っていたが、足が着かない自然の湖で、風が強いのか近くをクルーザーでも徹ったのか波が高く、顔に水がかかった。動揺して水を飲んでしまったり呼吸が乱れたりして、おぼれるかと思った。あまりにぐったりしたので30分未満ですごすごと帰る。そんな姿を見かねたのか、受付の人が次回使える二人分の券をくれた。

    岸辺の芝生で1日ごろっとして本を読んだり、 気が向いたら泳いだり、なんてお茶目すぎる。やっぱりチューリッヒはいい街だなあ。

    岸辺でそのまま隠しもせず着替える人が数人いたがあれは普通なのだろうか。あんなに堂々としていたら、そういうものと思わざるを得ない。

    ティチーノ旅行:データ

    1日目

    ストラーダ・アルタ
    レストラン、民宿などはアイローロ、アルタンカ、ルレンゴ、フレッジオ、オスコにはあるが他の村にはなかった。休憩所は整備されていないので店に入って休んだ方がいいかもしれない。日差しを避ける場所があまりない。
    Strada Alta情報ページ(独)

    Agriturismo Da Paolin
    素朴な民宿。庭先にテラスがある。コーヒーはチューリッヒで飲むよりも値段が安かったと思う。

    Ristorante Corona
    店員が親切であった。食べたものと値段。
    ティチーノ・メルロー 6.60フラン
    プッタネスカピザ 16.00フラン
    プロシュートとメロン 21.00フラン
    ミネラルウォーター1リットル瓶 7フラン
    計50.60フラン

    ベリンツォーナのユースホステル
    駅から歩いて約10分。朝食込みということを除いてはあまりおすすめできない宿。モンテベッロ城は近い。値段は、2人部屋の場合1人45.55フラン+税金0.45フラン。

    Postauto
    ボスコからファイド駅まで利用。時刻表をダウンロードできる。


    2日目
    多くの喫茶店、レストランが日曜日は閉まるので要注意。

    ベリンツォーナ
    Museo archeologico e civico
    よっぽど考古学に詳しい人ならおもしろいのかもしれない。本文中に書いた通り、解説がほとんどないので何がなにやら。

    ロカルノ
    Museo archeologico
    ガラス細工がおもしろい。

    Hotel Ristorante Dell'Angelo
    カフェとワインで休憩した。店員がぶっきらぼうだが親切だった。

    ティチーノ旅行:2日目(6月27日)

    何時に起きたか記憶がないけど、多分八時か九時。今日も晴れているが、前日ほどは空気が澄んでいないようで、遠くにもやがかかっているように見える。

    食堂で朝食をとる。バイキング形式だが、ハムもチーズも一種類しかなく、果物もないし、ドイツのハイデルベルクのユースホステルのような豪華朝食を期待していたのでがっかり。ジュース、コーヒー、お茶類、ココアと飲み放題で、シリアルもあるし朝食バイキングの基本は押さえているのだが。昨日からこのユースホステルには失望し続けているので余計にがっかり来ているのかもしれない。

    カウンターに鍵を置いて観光に出かける。まずは、ユースホステルの裏に位置するモンテベッロ城から。石段を上がり、城の横の葡萄畑を横目に見ながら10分弱歩いて入り口に到着。優美さのかけらもない、いかにも要塞という感じの城。レゴで作れそう。Museo archeologico e civicoという考古学関係の博物館があるということでそれらしきところに近づくと、ベルが鳴って係の人が出てきた。どことなくゆるい。4フラン払って入館する。荷物は預かってくれた。

    From Ticino
    モンテベッロ城

    中の展示はいちおう時代別になっているようだが、どこで掘り出されたいつの時代のものなのか全く記載がない。解説パネルもあるのだが、全てイタリア語で分からない。なぜか、エジプトのファラオについて説明したパネル、スイスの全く別の遺跡について説明したパネルもあり、博物館側の意図が分からない。地方の博物館はこんなものなのか、これがティチーノ風味なのか。特に得るものなく見学を終える。その後、係の人の案内で英語のベリンツォーナ説明ビデオを見た。

    暑い中うろうろして、城壁の上を歩いた後徒歩で街に下る。ベンチで少し休んでから、カステルグランデに向かう。もうこの時点でまだ午前中なのに相当暑い。

    From Ticino
    モンテベッロ城からカステルグランデを望む

    From Elternsreise (12)
    コレジアータの裏にあった家。元は教会だったらしい。

    お城には広い芝生が広がっていて、地元の人も観光客もピクニックを楽しんでいる。城の中のレストランで食事をしようかとも思ったけど昨日の余りのパンと若干怪しくなっているチーズがまだあったのでそれで軽食。芝生に座ってしばしのんびりって日本ではあまりしない。一つには芝生がないからだが、もう一つには日本の野原は草があまりにも育ちすぎていて座ると草に囲まれてしまうので余り心地よくなく、さらに蚊がたくさんいるからではないかと思う。

    From Ticino
    カステルグランデ。前日ここで結婚式が行われたらしい。

    From Ticino
    カステルグランデの芝生から。

    From Ticino
    日曜日のベリンツォーナ目抜き通り。誰もいない。

    軽く城を周って、這々の体で下山。次は電車でリゾート地ロカルノへ向かう。

    ロカルノまでは約30分で到着。リゾート地なのに飲食店以外は全く営業していない。飲食店でも営業していないところがあるようだ。家々は明るい色で塗られ、山の中だけど南国らしい雰囲気に溢れている。

    荷物を置いて街を散策することにしたが、それ以外の入れ物がないので急遽ロカルノの絵柄入りショッピングバッグを購入。少し恥ずかしいが観光客なのでまあいいや。

    まずはジェラート。店員のおじさんが夏休みバイトっぽい若い女性にジェラートの混ぜ方、コーンへの乗せ方を伝授していた。めちゃくちゃ暑いのでおいしく感じる。

    From Ticino
    ピアッツァ・グランデ

    ロカルノの目的は、ヴィスコンティ城の中にある博物館。ローマ時代のガラス製品が収蔵されているらしい。入り口が分からず中右往左往する。やっと辿り着いた博物館は地味だった。博物館が入っているお城も壮大でも優美でもなく、古い石造りのお屋敷という風情。展示室はそれほど広くはないが、期待以上の展示物がいろいろとあったようで暑い中来た甲斐があった。室内の壁の所々に書きかけの絵があったけど、あれは数百年前に絵を描きかけてやめたのか、それとも中世マニアで絵に自信がある人がこっそりと落書きしたのか判断しかねる。

    From Ticino
    ヴィスコンティ城

    From Ticino
    ハトのガラス細工

    From Ticino
    誰が書いたのか、下書き風の線画。

    暑さにやられていたのでピアッツァ・グランデのカフェで私はコーヒー、夫は白ワインとオリーブを頼む。ワールドカップ決勝リーグ、ドイツ対イギリス戦を見る。ドイツ語圏スイス人はドイツ嫌いという定説があるのだけどいざとなるとドイツを応援するのかどうなのか、近くにいたドイツ語圏の家族はドイツを応援していた。観戦中にイギリス幻のゴールも見る。ワールドカップ開催に合わせてどこの店も大画面のテレビを設置して客寄せをしていたが、いくつかの店の方がなぜか中継が早く入るらしくゴールの瞬間を見る前に喜びの歓声、外す前に失望のため息が聞こえ、興ざめ。なぜ違いが出てしまうのか。

    電車の時間も迫ってきたので前半終了後にカフェを後にし、駅方面に戻ることにする。時間が少しあったのでロカルノ湖で水上スノーボードのようなことをする人々を観察。その後少し湖周りを歩く。最後に駅の近くのサン・ヴィットーレ教会に行ってみるがミサの真っ最中で中には入れなかった。どうも古い教会らしいのだが、現在は修復された後の姿に見えた。

    From Elternsreise (12)
    Giuseppe Cattoriなる人物の像の周りにはなぜかなすが植えられていた。

    レストランに入って次の電車で帰るかどうか最後まで迷うものの、結局サンドイッチに落ち着く。電車の中で食べるサンドイッチは空腹のためか今までで一番おいしいものに思えたが、満たされてくるとただのチーズとハムのサンドイッチであることが分かってきた。本当に飢えていたらしい。

    チューリッヒに戻ると、大都会の別の世界にやってきたように感じる。日本の大都会に比べたら小さい街なのだけど。